どろろの人生を作った男、イタチ。どろろ 第9話 感想
どろろ第9話『無残帳の巻』見ました。
子供の頃に原作を読み、いちばん心に残ったというか刺さったシーンが、お自夜おっかちゃんが、どろろに自分の手のひらですくったおかゆを食べさせるカット。ザラザラの紙に乗ったインクから、手に火傷を負ったおじやさんの熱さと痛み、そしてどろろへの愛が立ち上ってくるようだった。
私もこういうふうにパパとママに守られているんだなぁ、ととても切なくそしてつらい気持ちになったことを覚えている。
そして、イタチ。
子供の頃には単に卑怯な人だとしか思えなかった。
でも、その後のサメの巻に再登場するイタチに、人間の複雑さというか、アンビバレンツな気持ちを抱いたことも確か。
そしてナウシカのクロトワに出会って、イタチのことを思い出した。
戦う姫皇子クシャナに付き従い、クシャナが帰還せず「ついに諦めていた好機到来!」とワクワクしながら、いざ無事帰還してしまうと踵を返してゴマをするシーンでは、本当に笑ってしまった。
その人間くささは、大人になって初めて理解できるもの。賢いクシャナは、クロトワの野心や狡猾さを十分理解しながら、勇敢で優秀な部下として重用している。私はクシャナとクロトワの主従がとても好きだ。
イタチはその原型なのだなぁ、繰り返し出てくる、スカンクやイタチといった、そのネーミングからして胡散臭いキャラクターは、手塚漫画の大きな魅力のひとつなんだ、とあらためて今回のアニメを見て感じ入った次第。
イタチの裏切りによって父は殺され、母は死に、どろろは孤児としてひとりで生きていかざるをえなくなった。しかし「力ではなく、知恵を駆使して生きていく」どろろの人生は、このイタチの価値観に合致するものだ。あのまま、野伏せの集団にいて運良く生き延びていたとしても、力に頼り、血なまぐさく短い人生を送ることになっていたかもしれない。
人生には良いも悪いもない、何が幸いか分からず、幸いと思ったことさえ災いの種になったりする。
そんな人生の複雑さを、このアニメはさらにわかりやすく描いていて、しかもきちんと心に入ってくる。
もちろん、どろろに両親に愛されて育った強い記憶があるから、あの白い魂の炎が失われていないのだろうけれど。
そして百鬼丸。
つらい離別がなければ、百鬼丸にどろろが出会うこともなかったね。
醍醐の後継者として対峙する別ルートだってあっただろうけれど。
もう二度と私を置いていかないで
熱でフラフラする身体で立ち上がろうとするどろろはとても愛おしかった。
百鬼丸も、どろろの危機を感じて、ようやく他者とコミュニケーションを取ろうという段階まで進むことができたのだろう。人は切羽詰まらないと、自分で持っているハードルを越えることができない。
【海外の反応】どろろ 09話 / Dororo ep09【Reaction mashup】
her?
girl????
と驚く海外勢でしたが、はやくも女の子ばれ。
次回、多宝丸登場で、11話と12話で遂に「ばんもん」に雪崩れ込むかと思うと3クールはやってほしいと嘆願したい気持ち!
だってどう考えても流暢に話せるまで1年はかかるだろう、「どろろ からだあつい」のままでは啖呵が切れない!
醍醐ママ上から皆さんに伝えたいことがあるそうです。#どろろ pic.twitter.com/r4EIXI8XBa
— あみちー (@amichidrrlog1) 2019年3月6日
イケメン過ぎる多宝丸予告でつい忘れてたよ、ママ上。
お縫の方の百鬼丸への思いというのは、「坊や」って言葉に現れてるけどものすごく特別なんだよねー
「坊やのおかげで醍醐領の平和が保たれている」という事実をママ上が知っている、という今回の設定。多宝丸もなんとなく醍醐家の秘密と自分以上に両親から気にかけられている「何者か」の存在に勘付いている。
1クール目のクライマックスは百鬼丸のファミリーアフェアではあるが、鬼神のひとつ、九尾の狐との対決はジリジリ感がものすごく、人間にささやきかける悪魔みたいなところがあって、今回まだ赤ん坊段階のコミュニケーションしかできない百鬼丸といったいどんな心理戦を繰り広げるのか、なんか靖子にゃんならではの解釈がありそうで楽しみではある。
そして、原作ではどうしようもない坊ちゃんとして描かれていた多宝丸が、今回まともに領内のこととか考えていそうな好青年なので、2クール目も存命するかどうかが一番の注目ポイント。個人的には生き延びてほしいな。