アスフォデロの野をわたる途中で

忘却の彼方にいってしまいがちな映画・音楽・本の備忘録

行ったり来たり、その後。政次は戻って来た。そして直虎を現実につなぎ留めていた母上が逝ってしまう。。

はい。

『おんな城主直虎』も残すところあと6回。スダマこと菅田将暉の直政が表舞台でわかりやすい出世物語を展開しておりますが、それは土曜時代劇的8回完結ものな味わいとして、その裏では1年かけて描いてきた直虎の物語がゆるやかに終幕を迎えようとしております。
 
やはり政次ロスと言いますか、34回以降あまり何かを書きたいと思わなかったのですが、先週の44回『井伊谷のばら』での祐椿尼こと母上の退場には心を動かされました。
 
彼女は非常に有能な「奥方」として井伊家を支えてきた人物です。井伊家にとっては「敵」であった今川系の新野家から典型的な政略結婚で嫁いで来た女性。にもかかわらず、後に井伊家を再興する直政を直虎と共に育て上げ、井伊家を磐石にした功労者でもあります。ここまでは史実の通説。
 
物語としての母上は、常におとわを「今いるべき場所」につなぎとめる非常に大事な役割を果たしてきました。
 
おとわの少女時代は「お転婆」の域を超えて無茶苦茶です。
ごっこで鶴に捕まりたくないから滝壺に飛び込む。
亀の身代わりに衣服を取り替えて追っ手に捕まる。
鶴と結婚したくないから家出して解死人に捕まる。
今川の人質になりたくないから氏真と蹴鞠合戦をする。
ここまでで既に4回死んでてもおかしくない状況です。
 
男子の死亡率が常に女子より高い事実は、男子が冒険好きとか名誉を重んじるとか「現実より離れやすい」特性からきていると聞いたことがあります。
 
おとわは女子ですが、やってることは地に足ついてないというか、「7つまでは神のうち」という言葉通り「あの世とこの世の間にある存在」でありいつあっちの世界に行ってしまってもおかしくない子どもでした。
(たけの苦労がしみじみ偲ばれる。。)
 
そんなおとわが出家。
 
出家先の井伊家の菩提寺龍潭寺は、アジールとして機能していたようです。
一歩門を入って「山林!」と叫べば俗世の全てから縁が切れる。

 井伊谷龍潭寺は井伊家の菩提寺である。そこに駆け込めばそれまでの因縁を断ち切れる、過去の柵(しがらみ)を免除されると思われていたわけだ。これを「無縁所」とも言った。アジールだったのである。
 のちの「井伊直虎置文」では、そのような悪さをしてきた「非法の輩」が駆け込んできたときの対処の仕方について述べていて、理非の決断が井伊家の旦那に任せられる場合と龍潭寺の住持が決めていい場合とがあることが明記されている。アジールではあったが、それを決定するにはいくつかのルールとロールの選択があったようなのだ。

建前的にはたとえ今川の兵が追って来ようと、おとわであろうが、亀であろうが、虎松であろうが手を出すことはできなかった場所です。
そして龍雲丸も。

おとわは何度か出家を躊躇ったり諦めようとしますが、そのたびに母にたしなめられます。
 
母はあなたを誇りに思う、家のために身を捨てられる姫なんてそうそういない、「まさに三国一の姫!」とおだてあげて出家を促す母上。
 
本領安堵の引き換えとした出家なのに途中で諦めるなんて「あなたは井伊家を潰す気か」、空腹に耐えかねて戻って来た次郎を追い返す母上。
 
ゲートキーパー的な役割。

でも、それもこれも「アジール」である龍潭寺に可愛い娘を守ってもらうため、そう考えられます。
 
猛獣の子どもみたいだったおとわも、柴咲コウさんになってからは、龍潭寺での修行のおかげか、住民たちと共に生きる立派な僧侶になっていました。
 
しかし、許婚の直親の帰還により、彼女にまた「居場所」の危機が訪れます。

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今川の謀略によって暗殺された亀に連れ去られそうになるおとわを取り戻すために、渾身の力を込める母上!

鳥肌が立ったなぁ。
まるで陰陽師の戦いみたいだった。
財前直美さんはあらためてすばらしい役者さんだと思いました。
 
そして、ようやく本題に戻りますが、44回の『井伊谷のばら』。
この冒頭、おとわがまたもや現世から連れて行かれそうなシーンがあります。
母娘で立花を楽しむ、とても平和な光景なのですが。
 
スダマの初陣が決まり「戦は何が起こるかわからない」と動揺したおとわは、指を刺してしまい、人差し指にポツンと赤い血の玉が噴き出します。
 
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はっとしたのは、母娘だけではなく、視聴者もそうです。
 
私は思わず、政次処刑の後に、おとわの白い頭巾に宿った赤い血の点を思い出してしまいました。
 
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無血開城のはずだったのに、近藤の讒言にはまり、反逆の首謀者として直虎自ら処刑してはならなくなった政次の返り血。
 
戦になってしまえば、何が起こるか誰にも予想できない。
暴力装置である軍隊により戦争が始まってしまうと、人智によるコントロールはもはやきかないのです。
 
楽勝を予想されていた桶狭間の合戦に負け、首桶となって帰って来た父。
 
隠し港に救援軍として迎えたはずだった家康の軍に、無惨に殺されてしまった龍雲党の仲間たち。
 
一滴の血が、おとわに、そして祐椿尼に、これまで失ってきた大切な人たちの命の記憶を、あざやかに甦らせたに違いありません。

政次の死の後にオフェーリアのように精神の均衡を失ったおとわ。
ここでまた「あちらの世界」に行きそうになっても不思議ないこと。

しかし母は強い。

慄くおとわの手を優しく取り「指を突いただけです」と諭す祐椿尼。

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自身も首で帰って来た夫のことを思い出したでしょうに、「赤い血」は呪いでも予言でもなく、短に日常的によく起こる些細な傷であると娘に言い聞かせる気丈な母の姿。

おとわはまた現実に留まることができたのです。

44回は母娘の関係としてさらに劇的なクライマックスが待っているのですが、
アバンだけで泣けました。

残り6回で最後の幼なじみも失ってしまうおとわ。
もう、彼女を引き留める強く優しい母はいない。
寂しいことですが、おとわ自身が自分の人生に対して満足していることを知ることができた貴重な回でもありました。

この物語、最後まで見届けます!