アスフォデロの野をわたる途中で

忘却の彼方にいってしまいがちな映画・音楽・本の備忘録

直虎は凄い。政次は幸せだ。歴史に残る第33回『おんな城主直虎』〜嫌われ政次の一生〜

神回。ってよく言われるけど、これこそ神回ではなかろうか。

プロデューサーも脚本家も意図していなかった結末。

物語世界にはよくあることで、作者も思いもしなかったストーリーが勝手に動き出す。登場人物たちが、人間の意図を超えて勝手に動き始める。今まで積み上げてきたものの集大成。奇跡の着地点。

見終わったあと、私は物語世界に圧倒され、ある種の清々しさしか感じませんでした。

すごい!役者もスタッフもやりきった。神様が降りてきた。

 

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直虎が政次の死を見届けるため刑場に向かう。

それは予想がつきます。

しかし、この物語はその先をいく。

誰も予想もしなかった先をいく。

プロデューサーも脚本家も思いもしなかった先をいく。

AERAの岡本制作統括のインタビューが非常に印象的でした。 

本の森下佳子さんも「こうしよう」と考えて、理屈の上で、あの(処刑の)シーンを決めたわけではないと思います。森下さんの中で2人の関係を紡いで、積み重ねていったらこうなってしまった。政次最期のシーンについて、森下さんと事前にそこまで細かくは打ち合わせをしていなかったんですが、私も森下さんも「処刑場に行って、直虎がお経をあげる」とかかな、と思っていました。でも、書いているうちにああいう形になったそうで。ある日の夜に初稿が私のところに送られてきて、読んだ後、大泣きしてしまい……。その後、急激に眠気が襲ってきて、そのまま寝てしまいました。これは受け止めきれない、と。

そうです。

直虎が「自分が引導を渡す」と刑場へ赴く。そこまでは予想がつきます。

直親の時は立ち会えなかった。

でも、政次は立ち会える。

でもね、わざわざ龍雲丸が救いに行ったのに政次は「本懐を遂げるため」と白の碁石だけ龍に託して返すんだよね。

この石は直虎と政次の魂の交流の証。

直虎はいつも政次の打ってきた黒の先手を白の後手で受けてきた。

次はおまえの番だ。

碁石を受け取った直虎は政次の最期の意志をどうとらえればよいのか一晩考えぬくのです。

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考えに考えた末、出した結論。政次の意志に応えるためには、そして井伊にとって最善の策をとるためにはどうすればよいのか。


それが自ら小野但馬を処刑する、です。

井伊を今川の国衆ではなく、徳川の味方として認めさせる。

そのために政次が打った最善の策を、直虎は断腸の思いで受け止め、政次のさらに上を行く策で完結させる。

 政次は刑場で直虎を認め、心中ではああ、これで俺は本当にこころおきなく死ねる、と思ったと思うのです。

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私はこの水辺の光景を見て、折口信夫の『死者の書』の大津御子の処刑の場面を思い浮かべました。御子はその刹那に大職冠の娘を目にし、亡霊となってからも恋するのです。

はっきり聞いたのが、水の上に浮いている鴨鳥の声だった。今思ふと、待てよ。其は何だか一目惚れの女の哭き声だった気がする。をを、あれが耳面刀自だ。其瞬間、肉体と一つに、おれの心は、急にしめあげられるような刹那を、通った気がした。俄かに、楽な広々とした世間に出たやうな感じが来た。さうして、ほんの暫く、ふっとそう考えたきりで・・・・

空も見ぬ、土も見ぬ、花や、木の色も消え去った

 でも、われらが殿、直虎はそんな文学クラスタの甘い思惑など吹っ飛ばします。

自ら槍を取り、まっすぐ政次に向かう。

視聴者の、いえ政次の想像のさらに上を行く。

ああ、さすがはおとわだ。俺が生涯を賭けるかいのあった女だ。

政次は本当に幸福な気持ちだったと思います 

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呆然とする近藤家中たちに一礼し、直虎は無表情でひとり立ち去ります。

たったひとりで。

わずか2分間のできごと。

前出した岡本Pのインタビュー

私もつくりながらぐったりしてしまったんですが、音楽担当の菅野ようこさんも普段はパワー全開な方なのに、第33回の脚本を読んで10日ほど熱で寝込んでしまって……。森下さんも書き終えたときは虚脱状態でしたし、キャストもみるみる集中していきました。

(直虎役の)柴咲さんからは「台本を読んでこんなに衝撃を受けたことはない」と言われました。財前直見さんもちらっと「ものすごい愛の形よね」とおっしゃっていましたね。(高橋)一生さんからは本を読んだ感想自体は聞いていませんが、「『磔(はりつけ)にされて、槍で突かれ、血を吐いて死ぬ』なんてシーン、これまで大河ドラマにありましたっけ?」という話をしました。

 

六左衛門役の田中美央さんのブログにも、台本を読んでからの高揚と厳粛な気持ちが描かれています。

 

おんな城主 直虎 第33回「嫌われ政次の一生」

 この日の撮影前後の事は良く覚えています。

 「あのシーンの撮影はいつなのか?」

 キャスト、スタッフ、皆、口には多く出しませんでしたが、誰もが気にしている様子がヒシヒシとスタジオ内にありました。

 「いついつらしいよ」

 「自分の撮影は無いのだけれど見守りに行きたいね」

 「行きたい、行きたいよ」

 そんな声がチラホラ聞こえるも、

「これは二人だけの世界、邪魔してはいけないよね」

 と、

 皆がお二方を慮り、シーンの関係者のみで静かに撮影が行われたと聞いています。

 

撮影後、

 翌週のスタジオには、まるで上級生が卒業してしまった校舎のように、

 何も変わらないのに、確実に一人分、何かが足りない、そんな空虚さを感じずにはおれませんでした。

 今夜、素晴らしいものをみせて頂きました。

 一生さん、本当に有難うございました。

 

「ふたりの世界を邪魔してはいけない」

そんな心遣いがとても尊い

 

方久役のムロさんもtwitter

 

柴咲コウさんと高橋一生さんの一世一代の名演といってよいのではないでしょうか。

演出は平清盛の「叔父を斬る」と「友の子、友の妻(義朝の最期)」の渡辺一貴さん。

最高だわ。。。

 

そして辞世の句。

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「白黒をつけむと君をひとり待つ 天つたふ日ぞ 楽しからずや」

 白黒をつけようと君をひとり待つ。夕暮れも楽しくないことがあろうか。

これが直訳。

柿本人麻呂万葉集に次の句があります。

「天つたふ 入り日さしぬれ 大夫と思へるわれも 敷袴の衣の袖は 通りて濡れぬ」

夕日がさしてくると、雄々しい男だと思っていた自分も、逢瀬に敷いた着物の袖が涙ですっかり濡れてしまったよ、という妻を恋う歌です。

「天つたふ」というのは「日」にかかる掛詞で、「入り日」を意味し、日が沈む頃、つまりは妻問いの時間のことをさすそうです。

政虎の夜な夜なの囲碁デートは、やっぱり妻問いの時間だったのですね。。。

 

政次の返り血を真っ白な頭巾に一滴だけ残し、白昼夢のような龍潭寺の一室で、碁盤の前にたたずむ直虎。これが過酷なる現実です。

 

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「つづーく」

と心なしかいつもとはちょっと違って聞こえる、中村梅雀さんのナレーション。

そうなんです、直虎の物語は続くのです。

いいなずけを失い、鶴翼のつばさを失い、それでも直虎の物語は続くのです。

政次ロスなんてもったいない。

涙をふいて、しっかり赤い目を見開いて、これからも私は愛すべき井伊谷のこれからを見届ける覚悟です。