アスフォデロの野をわたる途中で

忘却の彼方にいってしまいがちな映画・音楽・本の備忘録

サウダージ、いまここに存在しなくてさびしいということ。『おんな城主直虎』第34回

サウダージというポルトガル語がとても気になっていました。
 
あなたがいなくて寂しい。
 
郷愁、憧憬、思慕、切なさ
いちばん近い言葉は「ノスタルジア」だと言います。
 
単なる郷愁(nostalgie、ノスタルジー)でなく、温かい家庭や両親に守られ、無邪気に楽しい日々を過ごせた過去の自分への郷愁や、大人に成長した事でもう得られない懐かしい感情を意味する言葉と言われる。だが、それ以外にも、追い求めても叶わぬもの、いわゆる『憧れ』といったニュアンスも含んでおり、簡単に説明することはできない。(wikipedeia)
 
33回は神回でしたが、34回は鬼回と言っていいほど、さらにすばらしい出来でかつ心を抉る辛い回でした。
政次を失ってまるでオフェーリアのように夢うつつで少女と城主の間を行き来する直虎の姿を見て、なんだかこの saudade という日本語には翻訳できない言葉が頭に浮かびました。
 
少しだけ長くなりますが、おつきあいください。
 

去年ピエール・バルーというフランスの音楽家が亡くなりました。名画『男と女』のダバダバダ〜♪ の有名なコーラスをご存知の方もいらっしゃるでしょう。


Un Homme Et Une Femme de Claude Lelouch

 

「サラヴァレーベル」というこれも「サラヴァ」=「あなたに祝福を」というポルトガル語から取ったボサノヴァの音楽レーベルを設立し、晩年は日本人の奥様を得て渋谷にイベントスペースも開いています。

フランス文学と音楽に造詣が深くピエール・バルーと親交もあった芥川賞作家の堀江敏幸さんが、そのイベントスペースで彼の最後の日本公演前後の様子を語るのを聞いたのですが、ライブ前は寝たり起きたり日常も覚束ないのにライブになるとしゃんとしてすばらしい歌声を聴かせる姿を見て「ああ、これはピエール・バルーの言う ”ca va, ca vient"(行って、帰る)だな」と思ったそうです。あの世とこの世を行ったり来たり。
 
その「サヴァ・サヴィアン」というフランス語が、「サウダージ」なのだとピエール・バルーは言っていたとのこと。(同じ名前のアルバムもあります)
 
行って、帰る。
行ったり、来たり。
 

 サウダージは、「何か」又は「誰か」から距離が離れていること、又はそれが無いことにより引き起こされる感情をいいます。言語の由来は、ラテン語で孤独を意味する”solitas, solitatis”にあります。ブラジル人がサウダージを感じる時、過去に起こったことの記憶、また過去の経験をもう一度経験したいという強い感情を抱きます。恋愛の詩や歌詞に使われることが多い言葉のひとつです。
言い伝えによると、サウダージポルトガル人がブラジルを発見した時代に造られた言葉だということになっています。祖国や家族から遠く離れて、ブラジルに到着したポルトガル人が抱いた感情が「サウダージ」という言葉になったのでしょう。 
世界で最も翻訳しにくい単語、サウダージの意味

 

 

何かがここにないことで引き起こされる感情。

 

ああ、これは井伊谷なんだろうなぁ。

 

と思いました。

 

直虎が碁盤の上でさまよっていたのは、

甚兵衛たちと綿毛を育て、龍雲党と材木を切り出し、

殿として治めていた井伊谷の領地。

そして、鶴や亀と駆け回っていた幼い頃の井伊谷

 

和尚様から「いっしょに策を考えよう」と言われて「はい」とうれしそうに微笑む直虎は少女の顔をしていました。

 

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井伊谷三人衆の策にはまり、瀬戸村や祝田村の領地を失った直虎。

そして政次という生まれてずっといっしょだった伴侶を失った直虎。

この後さらに武力でなく信頼という力で勝ち取った気賀の地も、龍雲党と共に失います。

井戸脇に「もたらされた」政次の辞世を見、そして気賀の危機を聞いて現生に「帰って来た」直虎ですが、心の中にはずっと失ってしまった「井伊谷」がある。

 

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予告では「政次は生きているのだ」という直虎の言葉がありました。

政次は「行ったり、来たり」するのです。

直虎の心の中に、政次は井伊谷と共にずっと生きている。

政次は35回できっと戻ってきます。

どんな形なのかはわからないけど。

亀も、ほんとに亀の形で戻って来ましたよね。

 

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失ってしまってさびしいだけではなく、遠くにあって会えないだけでなく、サウダージの心というのは、失ってしまったものと共にある(いつでもではない)ということではないのかなぁ、と私は考えるに至りました。

人間は得るものもあるけれど、おとなになればひたすら失ってしまうばかりです。

でも、本当にそれは失われただけなのだろうか。

目の前にはなくても、目の前には見えないけれど、たまに帰ってくることがあるのではないのだろうか。

そんな気持ちで35回を見守ろうと思います。

# ピエール・バルーの亡くなる前のインタビューを置いておきます。彼の歌を聴けば、きっと私たちも「あっち」と行ったり来たりできるのでしょう。

その人が「道しるべ」だった。- ほぼ日刊イトイ新聞


追伸。

ようやく「鶴のうた」が届きました。さすが、33回の台本を読んで菅野よう子さんが1週間寝込んだのち復活して書き上げた渾身の曲集。

初回限定のフォトブックの最後の見開きが、まさに「サウダージ」でもうなんと言ってよいのやら (☍﹏⁰)。。。。

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