政次Xデーはこわくない!おんな城主直虎第32回「復活の火」
殿と家老の取り替えゴッコが最大のツボでした。もう死んでもいい。
直虎と政次で虎松の後見として、殿と家老で碁を打ちながら、虎松を支える亥之介や直久ら次世代ズも育て上げ、老後も碁を打ちながら「そろそろ亀が待ちきれなかろう」と共に白髪となる未来もあったろうに。
残酷で華麗なる最大の伏線回収回。おんな城主直虎第31回「虎松の首」まさつぐっ!編
政次です。
鶴丸です。
但馬です。
もう、これに尽きます。
「信じろ、おとわ」
「何を?」
と直虎は応えますが、何を、じゃないだろっ!
「徳政令はのぞまんに」の百姓たちの大合唱の中、第30回のラスト30秒から続く抜刀して直虎に刃を突きつけ「信じろ、おとわ」と切り札の幼名呼び。この31回からおそらく34回まで続く壮大なる「政次劇場」を開幕するにあたり、この31回は政次の「奸臣」としての役割をひっくり返していく大事な伏線回収回です。
小野家は井伊家より実は由緒ある家柄と言われ、井伊家の上を狙っているのではないか、と常に井伊家中から疎まれる存在です。
そんな面倒くさい家に生まれた政次は、今井家のイヌにしか見えない父を軽蔑し、自分は絶対そんなものにはならない、と幼いながら心の中で誓います。
第4回「女子にこそあれ次郎法師」では、父の政直に「これ以上井伊の目の敵になることはやめてほしい」とストレートに訴えています。
この20年後(適当)が、小野家の次期当主である甥の亥之助の第31回での政次との対峙です。
井伊家が潰れ、城を追われた後で、なぜか自分だけ井伊谷に残るように言われた亥之介は叔父の政次に「どうして小野家だけ井伊家と運命を共にしないのだ」と迫ります。
この自分の後継者にすら、本心を明かさないアンビバレンツな小野家の伝統は、先代政直 aka 吹越満と心底生き写しであります。
第5回「亀之氶帰る」での、臨終前の父・政直とおとわとの対面。おとわには「全部井伊のためにやったんだよ。誰にもわかってもらえないけど」と言いつつ、その後政次には「あいつ甘いなー」的毒舌を吐いた後、「結局おまえも俺と同じ道をたどるんだよ」と呪いをかけます。
小野政直。本気で井伊谷を小野の手にしたいと思っていたのか、それとも政次と同じように偽りの盾となって今井から井伊谷を守っていたのか。もしかしたら人質にやった瀬名さまと恋仲だったのではー とか妄想は尽きませんが、本ドラマでは息子の政次は見た目もやってることも、父親の政直そっくりですが、心の中は小野家という狭い範疇ではなく、井伊谷に命を捧げている、ということをいよいよ31回から回収していきます。
「私には次郎法師さまや亀之氶さまと育んだ幼い頃からの絆があります」
これがもうすべてなんです、わかってあげてよ、おとわ!
信じろ、おとわ!
ということで隠し里に逃れた直虎は、遂に一族に「政次は味方である」ということを告白。
これ、こんな情報開示やっちゃったら今までの但馬の血のにじむ努力が無駄になるのでは、とか最後までおとわと和尚様だけが真相を知っていた方がドラマチックなのでは、とかいろいろご意見あるかと思いますが、ホントに「但馬悪いやつ」と思っている視聴者もいるようなので、このくらいわかりやすくしてあげた方が但馬報われるかと思います。
実父を政次に殺されているというのに、この限りない六左の包容力。
高瀬の場合、乙女の直感で政次の殿への思いを勘付いてるのではないか。
母上はつる・とわの仲を幼い頃から見守っていますからね。安定のうなずき
そして次世代からの但馬への熱い信頼!
これは胸熱であった。
政次はいつも「どこで間違ったのか自分で考えるように」虎松たちに教え諭しながら囲碁の相手をしていた。敵ならばそんなしちめんどくさいことするわけがない。
虎松、ゆきの字の弟の直久、甥の亥之介の次世代たちと但馬の囲碁での交流は、第25回の「材木を抱いて飛べ」の冒頭で描かれています。
政次は、地味に龍潭寺での囲碁を通して次世代たちを育てていたのです。
ということで遂に政次奸臣説はくつがえるに至ったが、肝心の殿が疑心暗鬼!
ま。こんな悪魔の笑顔を見せられると信じてる私でさえ一抹の不安を覚えるけど。。。
美しいなー
この対比。
虎松首実検は、私は「寺子屋」とか主人のために自分の子供の首を差し出すっていう歌舞伎を思い浮かべて「まさか亥之介?」と心底思いました。でも、それだと政次が「これぞ小野家のためだ!」って言ってるのと矛盾するので、違うなと。
うきゃー
「地獄へは俺が行く」っていうのは、家臣に向けてだったのか。
しかし、前回同様クラクラしたのは、次回32回予告です。
うわー
「小野が井伊家を再興する」
これこそ若き政次が父・政直に語った小野の「まことの勝利」ではないか!
いくさ支度は、手甲と同じグレーの鉢巻。やばい、やばすぎる。
そしてこの心配顔の美しい尼姿の直虎さまと、なんだかおだやかな政次。
楽しみすぎます。待ち遠しいです!
残酷で華麗なる最大の伏線回収回。おんな城主直虎第31回「虎松の首」
「自己ワーストの視聴率10.6%!だから女大河は、、、」のメディアのバッシングに驚いて平日からこのエントリーを書いています。(結局休日にかかってますが。。)私はこんなすばらしい「女大河」はないと思っている断然擁護派だからです。
「なんで井伊が潰れるの」「井伊はどうなるの」
という家の者の疑問に直虎は「われもこんな話は聞いたことがないゆえ」と答えますが、私も戦国ドラマを長年見続けてきた中で、城が落ちることでしか家が潰れるのは見たことがありません。
経済的理由で家が潰れるなんて!
すごい斬新!
徳政令にまつわる書状しか直虎には残されていないわけで、唯一の歴史的事実をドラマチックにクライマックスに持ってくる、その力技にも驚かされますが、それもこれも第13回、第14回の2回にわたって直虎が安易に徳政令を受け入れて窮地に陥る、という伏線があるからです。
絶体絶命の危機に陥った直虎ですが、この時は竜宮小僧というか、どこからか現れた亀の出現を機に策を練り直し、逆に瀬戸村の百姓たちの信頼を得るのです。
この時にはさすがタイムスクープハンター大河!徳政令ってこんなのか!(私は大ファンです)としか思ってませんでしたが、30回で「徳政令は望まんに!」と今川の侍たちに打たれて血まみれになりながらも唱え続ける百姓たちの声が、まるでお能の地謡のようで、私の心から離れません。「徳政令」という無機質な歴史用語を、人々の人生を左右する血肉の通った事実として私たちに認識させるドラマなんて、そうそうあるものではありません。
その3。人買い
さて、いよいよ「政次の短刀の血は誰のものか」問題ですが、政次が子供を買って虎松の身代わりにしたことが、龍雲丸によって直虎に明かされます。
第16回「綿毛の案」で、初めて龍雲丸に出会った直虎は、「人が買える」という話を聞いて「よいことを聞いた!」と単純に喜びます。綿を栽培するための人手集めに窮していたからです。
城と寺で育った直虎は、竜宮小僧として里のために働いてはいましたが、本当の人買いの残酷さは知らなかったのでしょう。人に買われるということは、生死を人に委ねるということで、直虎の無邪気な反応を見て龍雲丸は珍しいものを見るような目つきをします。
家を守るために、ひとりの少年の命が失われた。此の期に及んで、ようやく人買いというものの非情さを直虎は知るのです。
単なるタイムスクープ大河ではなく、直虎の成長物語であることが本当にすごいのですが、ここまで、史実とはまたひと違う人間ドラマとしての細かい伏線回収がこれら以外にも地雷のように仕掛けられています。
少し長くなってしまったので、続きます!(たぶん)
#つづきを書きました。政次にフォーカス!!
おんな城主 直虎 第31回「虎松の首」
観てくださって有り難うございます。
虎松の首として、偽首を差し出した政次。その首を見て、政次のそれに至る動向を知る直虎たち。様々な思いが交錯する回でした。私は現時点で34回まで編集したものを観ていますが、、33回、34回と・・・涙なくしては観られませんでした・・・。政次の、龍雲丸の、直虎の、皆の魂が、思いが、ぎゅっと詰まっています。来週は「復活の火」です。お楽しみに。
そして本日は、広島原爆から72年。
犠牲者の方々に、慎んで哀悼の意を捧げます。
これからも、“知ること” “想像すること” “考えること” “話しあうこと”
忘れないようにしなければなりません。
『美女と野獣』実写版:ダン・スティーブンスって誰?
今頃ですが、実写版『美女と野獣』を観ました。
ジャン・コクトー版ではありません。
遂に日本での興行収入が百億円を突破した、ディズニーのエマ・ワトソンとダン・スティーブンス版です!
シェイクスピアについてエマじゃなくてベルにジョークを飛ばすまで人間化した野獣の青い瞳があまりに優しく美しく、CGなしで野獣&王子を演じたダン・スティーブンスって誰??
と思ったら思わぬイケメンでした。
『ダウントンアビー』のマシュー!
運命のいたずらで伯爵になる青年弁護士を演じたダン・スティーブンス自身も、パブリックスクールからケンブリッジ校に通ったエリートです。
映画『ナイト・ミュージアム/エジプト王の秘密』でも円卓の騎士のひとり、ランスロットを演じていて、鎧姿もサマになる。
謎の軍隊帰りの青年を演じる『ザ・ゲスト』
いやー この体格だったら、堂々ビーストをCGなしで演じられるわけです!
how did emma watson manage to keep a serious face the entire time pic.twitter.com/jL4jbJ1rMu
— FREDDY (@FreddyAmazin) 2017年5月24日
王子に戻った野獣が実はブサイクでもベルは愛したでしょうが、まあ、ハンサムだった方が話としてはわかりやすいですよね。
呪いをかけられた時の王子が「宮殿には美しい人しか集めなかった」と言うのですから、父を助けに単身魔窟に乗り込んだ少女が、勇敢で知性あふれるけどベルのように美しくなくブサイクだったとしたら、この寓話は成立しなかったのでしょうが。でも、たとえベルが絶世の美女でなくても、生き生きとした内面は明らかに外面に表れると私は思うので、野獣は恋したかもしれません。
そしてこの話のキモは、「バラ」であります。
『美女と野獣』そもそもの原作は、wikipedeiaによると、父親が末娘のためのバラを野獣の屋敷で摘んでしまったことにあります。
3人の娘と3人の息子を持つ商人が、町からの帰り道にある屋敷に迷い込み、そこで体を温め料理にありつくというもてなしを受ける。商人が、「ラ・ベル(フランス語で「美女」という意味の一般名詞)」と呼ばれている心の清い末娘がバラを欲しがっていたことを思い出し、庭に咲いていたバラを摘むと、彼の前に屋敷の主である野獣が現れ、「もてなしてやったのにバラを摘むとは何事だ」と言う。そして野獣は娘を要求した。末娘は身代わりとして野獣のもとに赴き、野獣は娘に慇懃に求婚するが拒否される。
父親が床に臥せっていることを知ったラ・ベルの一時帰郷の申し出に、野獣は嘆きながらも許可を与える。ラ・ベルは一週間で戻ると約束をした。2人の姉は里帰りした末娘から豪邸での生活を聞き、嫉妬して妹を引き止め、日限に間に合わないよう仕向ける。10日目の夜、ラ・ベルは野獣が死にかかっている夢を見、屋敷に戻った。
ラ・ベルは瀕死の野獣に再会し、「これで幸せに死ぬことができる」という野獣に「いいえあなたはわたしの夫になるのです」とラ・ベルが叫ぶと野獣は本来の姿に戻る。
「父親が旅に出るときに娘たちに土産は何が良いかと尋ね、二人の姉はレースとかパラソルとか贅沢品をねだり(推測)、末娘はバラ一輪のみを願う」
というのは、『シンデレラ』と同じパターンです!
そして父が娘へと持ち帰ろうとしたハシバミの枝やバラの花は、呪術的要素を持っています。ハシバミの枝はグリム版ではシンデレラにドレスやガラスの靴を降らせ、ディズニー版のバラの花は野獣の屋敷の呪いを支配します。
バラの花びらが全部散るまでに、王子が人を愛し人に愛されるという「真実の愛」を見つけなければ、王子たちにかけられた魔法が解けることはない、という縛りはグリム版にもコクトーの映画版にも見当たらず、ディズニーのアニメ版の特殊設定のようです。
ダン・スティーブンスの話からずいぶん脱線しましたが、上映中ボロボロ泣いてしまいました。
自分の命を賭けてベルを狼から守ろうとする野獣も、放置して村に逃げ帰ってしまえばメデタシメデタシなのに敢えて傷ついた野獣を連れて城に引き返すベルも、人として尊敬できる。
今まで村にある数冊の本を繰り返し読むだけだったのに、城の何万冊もあろうかという広大な図書館を見せられた時のベルの喜び。初めてシェイクスピアの話ができる相手に出会ったベルのうれしさ。本当によくわかる。
愛する人と共に見る景色が今までとは違って見える野獣の驚き。
数々の歌もすばらしく、お話が全てわかっていても観て損はしません。オススメします。
手フェチとしての政次あるいは高橋一生
三浦春馬と高橋一成の化学反応『おんな城主直虎』
「ほぼ日」の森下圭子さんによる『おんな城主直虎」自作解説が非常に面白かったので、載せておきます。三浦春馬と高橋一生の「役者による化学反応」によって脚本家の最初の意図とは違ったドラマに仕上がっているとのこと。
しかしこの白々しさ、でも結果これがよかったよ。 てかこれしか無いよ。そしてキョトンの鶴かわいい。#おんな城主直虎 pic.twitter.com/ota9XdrTuV
— 橘 (@Skyanariwoe) 2017年2月19日
あ、それはね、芝居と芝居がぶつかったんですよ。わたしが書いたときの想定では、どちらかというと「直親正義」寄りに書いたんですよ。
三浦春馬さんの亀を基本的には鶴に警戒心はあるもののど真ん中のまっすぐな男に、高橋一生さんの鶴を引け目はあるものの信用のおけない男に書いているんです。最終的に、13話からの「城主編」の鶴を観てもらったらわかるんですけど、私が頭の中で動かしていた鶴は、はじめからあの「城主編」の鶴なんです。
私はそこまで難しくするつもりはなかったんですけど、仕上がったものを観て、自分もちょっと混乱するんですよ。「なんでそこで目が潤んでんの!」とか(笑)。「え、ちょっと待って、 こうなると悪いのどっちだよ!」みたいな。
あれは、私が思うよりウェットに解釈した高橋一生さんと、逆に、私が思うよりドライに解釈した三浦春馬くんが化学反応を起こした結果、と私は見ています。確認したわけではないので、あくまで妄想ですが。
あれは、まぁ、実際、生きて帰ってこられないと確信しているから言えるんですよね。
あ、でも、わたしはそういうふうに書いてたけど、もしかしたら、春馬くんは「戻ってくる」という気持ちで言ってたかもしれないよ?
不思議なもんで、私が思ってもみなかった解釈をしながら、みなさんが演じることもしょっちゅうあるので、ほんと、わかんないですよ。私が書いたときは、もう戻ってくることは絶対ないだろうという気持ちで書きましたけど。だから直虎も「心得た」と言えたわけですが。演じているおふたりの気持ちは違うかもしれない。
あと、今回の『直虎』をやりながらふと思ったんですけど、春馬くん、これからは、悪い役をやったら、おもしろいんじゃないかと。
悪い三浦春馬くんが、観たい。いま、ものすごくそう思ってるんです。この人を正統派の美少年だけにしておくのは、もったいないんじゃないかと思って。すんげー悪い、悪いのに逆らいがたい悪の華みたいな美青年を一回やるべきだ(笑)。
おじさんになる前に!
いや、本当にこの最期の覚悟のシーンの表情は射抜かれました。
おひめさまと まほうにかけられたかめは みつめあいました #おんな城主直虎
— ルルフ (@hervorruf) 2017年4月15日
的な pic.twitter.com/ZOBLyp2H3P
花のような秀頼さまを鬼のようなる真田が連れて『真田丸』
真田丸について書いておこう。