アスフォデロの野をわたる途中で

忘却の彼方にいってしまいがちな映画・音楽・本の備忘録

どろろ 第2話 「俺は、百鬼丸」

どろろ』2話、見ました。

amazon prime いったい何時から配信なの???

もしや第1話のみ特別配信だったの???

と、疑心暗鬼にかられながらグースカ眠ってしまった月曜日ですが、ちゃんとTV放映終了後、24時くらいから配信されるようです。

 

でもって超楽しみだった第2話ですが、なんだかあっという間に終わってしまった。

あれ???

万代、弱すぎない???

昭和だったらたっぷり2話でお届けしてませんでしたっけ?

原作、50年前のアニメ、プレステ2、実写、すべて制覇している『どろろ』マニアとしましては、万代、あっさりしすぎてた。

霧の中、川辺に眠る百鬼丸に「やろうかぁー」と怪しく囁く金小僧。。。

万代の寝室に忍び込み、枕に隠されてるしっぽと遭遇しそうになるどろろ。。。

平和を取り戻し金小僧が隠していた金まで取り戻し、しかし身体の一部を取り戻した百鬼丸におののいて「出て行ってくれ」と冷たくあしらう村人たち。。。

なシーンがすべてカットされ、非常にあっさりしていた平成アニメ版。

第1話の濃密さに比べてこの淡白さは何?? と思った初見でしたが、さきほどもう一度見直してなんか納得しました。

つまりはまだまだプロローグ。

百鬼丸の過去も、どろろの過去も、まだ全く明らかにされていない。

逆に現在の百鬼丸について、非常にリアルに描写する場面があります。

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万代に「おっかさん」の面影を見てしょげるどろろの「魂の炎」の弱さを感知し、思わず頬に手を当て「なぐさめようとする」百鬼丸

 

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きゃー

視覚も聴覚もそのほか皮膚を通した感覚のすべて奪われている百鬼丸

しかし、彼には「魂の炎」のようなものは見える。

どろろはうざったいけどとても美しい炎を持っているので、なぜか自分についてくるけど害はないので放置している。

(って語りの麦人博士と今シーズン大活躍の「おっさん」こと琵琶丸が言ってた)

そしてもう一人、かつて自分にずっと寄り添っていてくれた美しい炎が、寿海だった。。

ってことで、次回満を持して寿海パパ!


TVアニメ『どろろ』 第三話「寿海の巻」予告

原作にはいなかったオリジナルキャラも出てくるようで、先行カットを見ると多宝丸の子供時代もあってヤバすぎるなぁ。

これ魔物は12匹で全話24話だと、もう2匹倒してるからあと10匹で22話やることになる。焚き火の場面をよくよく見ると右脚ホンモノっぽいからもう一匹前に倒してるのかな。あと9匹?

最初の「泥なんとか」と「万代」それからPVで出てくる「似蛭」はあっさりやって、あと9匹をじっくり描いてくれるのかしら。

 そして、どろろを気遣った後(照れるどろろがかわいい)、「名無しのくせに!」と言われて唐突に自分の名前を地面に書き始める百鬼丸。しかし、どろろは字が読めない。代わりに手で触って「ひゃっきまるか」と教えてあげる琵琶法師のおっさん。

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この、三人とも何かが欠如してる個人同士が互いに補っているチーム感がすばらしい。まさに現代感あふれる小林靖子の脚本。

百鬼丸は、ただの戦う機械人間ではなく、他人を気遣う心を持っていることもわかる。どんな方法で学んだのか、漢字まで書けることもわかる。

いったいこの16年間に何があった?

 そして今回「万代」を倒して取り戻したのは「神経」!

今までどんなにズタボロになろうが痛みを感じなかった百鬼丸が、これからは戦闘のたびに痛みを感じるようになる。

風や太陽を感じられるようになったのはすばらしいことだけど、失ったものを取り戻すたびに、百鬼丸は生身の人間に近くなり、どんどん戦闘能力は低くなり弱くなっていくのだろう。

そして魔物が一匹ずつ倒れるたびに、天災や人災に見舞われる醍醐の国。

幸せの国になんてたどり着けるのだろうか。。。

来週多宝丸の子供時代だって出てくるし。。

このあとの展開を思うとつらい・・・・

ともだえながらも、次回「寿海の巻」も無茶苦茶楽しみです!

 「どろろ」はいいぞ!

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#この第2話のモチーフは日本の各地に伝わる民話「六部殺し」。「六部」と呼ばれる旅の僧を殺して金を奪い、その金で裕福になった百姓夫妻に子供が生まれるが口がきけない。ある晩、その子供が初めて口をきいたのが「お前に殺されたのもこんな晩だったな」。

ひー

さすが鬼の小林脚本。「金小僧」は原作の村を救う埋蔵金の精ではなくて、「六部」の霊っていう怪談話になっております。

まさか口のきけない百鬼丸が声帯を取り戻した時に醍醐に向かって「お前に身体を奪われたのもこんな日だったな」とは言わないと思いますがww

どろろが「剣を奪うために」百鬼丸につきまとうのではなく、「妖怪退治で金を稼ぐ」マネージャーになるのが目的になっているところや、万代に一方的に搾取されて貧乏な村ではなく、逆に犯罪によって豊かになりその後ろめたさを無くすために用心棒を雇う百姓たち、という設定変更は非常に現代的であり、さらにそれを中世の民話に結びつけるという二重構造にはうなるしかないなぁ。


 

『どろろ』2019年版の「叶うなら、遠くまで」

手塚漫画で我が最愛の『どろろ』の最初で最後の平成版アニメが2019年1月7日に始まった。

すばらしすぎて涙している。
海外でも上々の評判で、手塚治虫の普遍性と映像plus音楽のフルコンボは、日本アニメの底力を感じて新年早々やること満載だけど書かないことには他に取り掛かる気持ちになれない。
 
しばしお付き合いいただければ幸いです。
(のっけからネタバレなので、未見の方はご注意願います)
 
 
まず、百鬼丸の設定のすばらしさ。
 
冒頭の醍醐と魔物たちの契約からほぼストーリーは原作をなぞっているのだが(魔物の数などの改変はある)、16年後、既に放浪の旅に出ている百鬼丸の初登場場面。
対岸でドタバタやってるどろろたちに気を取られて川に落ちかけた少年を百鬼丸が目にも留まらぬ速さですくい上げる。
その後に少年が母親に言ったセリフ。
「お兄ちゃん、お面をかぶってた」
 
お面??
 
そう、平成版アニメでは、百鬼丸は「お面をつけたまるで人形」として登場するのだ。
 

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思えば、百鬼丸に「五体」を与えた医者の寿海は、木材で身体のパーツを作っていた。
手塚治虫先生のマンガでは百鬼丸は最初からとても表情豊かでチャーミングだったし、50年前の出崎統さんの「劇画っぽい作画」ではあしたのジョーと同じく男くさい百鬼丸だった。実写版では妻夫木聡がごく普通に人間のイケメン枠で演ってたし。
 
それが、今回のちょっと中性っぽい百鬼丸は、まさに攻殻機動隊に出てくる「木偶」そのもの。
主人公なのにひとことも発さず(まあ、まだ声も奪われてるんだけど)、視線も合わさず、魔物のような速さで敵を攻撃する。
あの人間とは思えないスピードのアクションは、並の運動神経とかではなく、ゴーストかなんかで動かされているとしか思えないし、そうであれば逆に納得できる。
 
 
この「まるで木偶」みたいな百鬼丸が、どう人間性を取り戻していくのか。
 
エンディングでは、百鬼丸が「ニコッ」と笑うカットがある。
まったく情報無しでこのシーンを見たら
百鬼丸が笑った!
と天地がひっくり返るくらい大騒ぎするレベルの第1話の百鬼丸
 
おそらく、どろろが明かりとなって、百鬼丸の行き先を照らしていくんだろうな。
どろろ、すごくかわいい)
 
このエンディングテーマの amazarashi の『さよならごっこ』がまたすばらしすぎて、歌詞がグルグル頭の中を回っている。
 
 
百鬼丸が背負う壮絶な宿命ほどではないにせよ、
僕らも大なり小なり逃れられない宿命を背負って生きているのだと思います。
それを見ている側に気付かせてくれるのがどろろの存在なのかな、などと考えながら曲を作りました。
友愛のような恋愛のような、家族愛のようなどろろの暖かい視点から、
百鬼丸の深淵に触れようと試みる歌です。
そして宿命を背負いながらそれでも尚歩みを止めない人達の為の歌です。
気に入って頂けたら嬉しいです。

amazarashi 秋田ひろむ

 

戯けて笑うのは この道が暗いから
灯りを灯すのに 僕がいるでしょう

さよならごっこ 慣れたもんさ
でも手を振ったら泣いちゃった
僕らの真っ赤な悲しみが
暮れる 暮れる そして夜が来る

当たり前にやってくる明日なら
生きたいなんて言わなかった

よせばいいのに夢見てしまう
未来 未来 君のせいなんだ

 

アニメのキャッチコピー「叶うなら、遠くまで」というのがまた連動して泣けるんだよねー

「叶うなら」って結局「叶わない」ことを前提としているわけでしょう?

原作の百鬼丸は「どこかに幸せな国があるかも」と育ての親の寿海と別れて魔物退治の旅に出るわけだけど、醍醐パッパが言ったように現世はどこも地獄。

でも。

夢見たいよね。

あきらめてたんだけど「もしかしたらかなうのかもしれない」って思わせてくれる存在が、百鬼丸にとっても、どろろにとっても、お互いだったんだよね。

百鬼丸どろろも「共同体」から明らかにはみ出た存在で、百鬼丸がいくら魔物を退治しようが、そのおかげで村に平和が訪れようが、結局は村人から「バケモノ」「乞食」と石もて追われてしまう。

(本日放送予定の「万代」はまさにそういう話)

子供の頃、クラスメイトに馴染めなかった私にとっても、非常に切実なテーマだった。もちろん、川辺の焚き火の側で寝る百鬼丸に金小僧が「いらないかぁ」と囁くシーンなんかは純粋にその怪しさにどきどきして読んでましたけど。

そして、たとえ48の魔物(今回は12)を倒したところで、そしてもともとの自分の身体を全て取り戻したところで、百鬼丸はそれからどうするのだろう、どこに行くのだろう。どろろと別れ、たったひとり空白の一本道を歩いていく、百鬼丸の終わりそうにもない孤独に、子供だった私は呆然とするしかなかった。そして手塚先生は、「続きを見たい」という私の願いも空しく、百鬼丸の行き先を描くこともなく、逝ってしまった。

今回、PVでは、どろろと百鬼丸が二人で黄金の道を歩いていく姿が最後に描かれている。

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これから24話、ばんもんがつらい、おっかちゃんもつらい、イタチもつらい、みおもつらい、多宝丸もつらい、辛いことしか思い出せない二人の道行ですが、美しい風景(墨で描いたものにPhotoshopで彩色しているそうです)、スタイリッシュな戦闘シーン(百鬼丸が橋桁を縦横無尽に駆けるさまは圧巻)、モブでもおろそかにしない演出(いずれも喰われてしまう産婆や3人組)、こまかいフォロー(琵琶法師が杖を探すシーン、百鬼丸と同じ「見え方」を提示する一瞬のカット)、そして浅田弘幸さんによるキャラクターデザイン、女王蜂&azarashiの音楽などなど、手塚先生の名作が現代のスタッフによってあざやかに立ち上がったことがうれしすぎて、結末がどうなろうと、最後まで見届けたいと思うのです。

 

#舞い上がりすぎてて最後になりましたが、脚本は特撮の小林靖子さん、監督はわが愛する『ハンター×ハンター』そして『るろうに剣心』の古橋一浩さん!


どろろ Dororo Short documentary 1/13「魂の鼓動」古橋一浩×小林靖子

 

どうりで百鬼丸のアクションは抜刀斎もしくは団長だわー

小林靖子脚本は昔の「仮面ライダー龍騎」しか見てないけど、犯罪者がライダーのひとりになったり、主人公が死んじゃったり、信じられない展開の連続。

これはもう泣きながらついていくしかない!

 

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ちなみに第1話で取り戻したパーツは「皮膚」。

こいつも斬新だ!

 

現世と虚構の間〜おんな城主直虎 番外編 きっと黄金のエルドラドが待っている

『おんな城主直虎』が最終回を迎え、はや1カ月以上。

あまりにスッキリ終わったので、もうこのままでいいかな、もう思い残すことはないかな、と私自身もスッキリしてしまい、ロスではありましたが日々の雑事に埋没しておりました。

 
しかし!
 
しかーし!
 
2月1日、エルドラド賞じゃなくてエランドール賞の画像が私を撃ち抜いた(ↀДↀ)!
 
ドキューン!
 
殿と政次が!
 
夢のツーショットだ!!!
 

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殿が笑顔で政次に花束をををををを
 
そしてそして政次の感極まった表情おおおお
 
いやー
イッセイさん、ほんとなんて顔だ。
もうね。私は電車の中でいろいろ辛い現実を忘れましたよ。
いままで意図的なのか故意なのかワザとなのかその全部なのか、なぜかツーショットで現れない殿と政次の中の人!
なんでまさみとはツーショット満載なのよ! と密かにイラっときている昨今
公式サイトが閉鎖されたまさにその日、2月1日になぜ大公開されるツーショット!
 

mdpr.jp

 

撃ち抜かれたのはもちろん私だけではなく、なんと『おんな城主直虎』の視聴熱が5位にランクイン。
 

 
とっくに最終回を迎え、総集編も放映され、公式のWebサイトが閉鎖されたTVドラマがなぜ現在絶賛放送中の朝ドラを押さえて5位に!
 
それはやっぱり、「殿と政次に幸せが訪れて欲しい」「明るい陽の元で幸せに笑っていてほしい」という重低音でずーっとずーっとマリアナ海溝の奥の奥で鳴り響いてこじらせかけていた視聴者の欲望が、この幸せツーショットと共にマグマとなって一気に噴出したにほかありません!
 
もちろん、柴咲コウさんと高橋一生さんはお仕事として大河ドラマの役を演じていただけで、戦国時代に生きていた「井伊直虎」でも「小野政次」でもありません。
しかし、しかし、この二人が同じ空間にいて、笑いあっているだけで、まるでドラマの中の虚構の登場人物が回避できなかった悲劇を乗り越え、視聴者が願っていた幸せな結末を、ハッピーエンドを迎えることができたのだ!という幻想にひたることができるのです。
 
なんならこの二人が本当にハッピーエンドを迎えてもいい。
それこそが、殿と政次が叶えられなかったドラマの中での現実を、中の人が現世で代わりに現出させる唯一の方法なのだ!
 
ってもう、虚構と現実が完全に逆転してますよねw
 
記事が出た数時間後に発表された各メディアの授賞式の動画が、さらに拍車をかけます。
 
 
もうね。
この授賞式の中のコウさんとイッセイさんのやりとりが「殿」と「政次」のやりとりをホーフツとさせて、もはや視聴者が虚構と現実をはき違えてもしかたない、というレベルなのですよ。
 

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えー まず殿の祝福スピーチを聞く政次の超幸せそうな微笑みをご覧ください。
これは殿が「主役をやらせてもらったけれど、それもイッセイさんの情熱あふれる演技に支えられてこそのものだ(意訳)」とのコメントの場面。
→「政次に支えられてこそ我があったのじゃ」って私の中では変換
→その賛辞をシミジミと噛みしめる「ほんとよかったー」「むくわれたー」ってイッセイさんの表情。
 
でもって、イッセイさんは、うっかり殿のスピーチの最中に胸につけた「胸賞リボン」を落としてしまいます。
その気配に超敏感に反応する殿。
正面を向いて話していたのに、目の端ではしっかり家老の姿をとらえていた!
 

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「ひゃー?」って声を上げスピーチの最中に政次を気遣って振り向く姿が可愛すぎて悶絶なのですが、その殿に「大丈夫」と小声で答え(私のことは放っておいてすみやかに公務にお戻りください)というイッセイさんの政次風味がもうツボ過ぎるのです。
 

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あー
政次だったら「俺にかまうな。己の役目に集中しろ」って言い放つ場面。
そして殿は全面的にイッセイさんを信頼した満面の笑顔ですぐにスピーチに戻って己の役割をまっとう。
 

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イッセイさんaka 政次は「もうホントすぐ本分忘れちゃうんだから」「やっぱり俺がついてないと駄目だな」「でも俺のこと気にしてくれてたんだな。カワイイ」というアンビバレンツな感情がダダモレになっております。
 
この後も殿の「あれ?共演10カ月だよね?」のこれもスピーチ途中の振り向きに「そうそう」ってうなずきで応えたり、殿と家老みあふれすぎて、もうなんかすべてが報われました。神様にありがとうの気持ちでいっぱいです。
 
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お二人の魂の芝居、しかと受けとめました。
高橋一生さん、エランドール賞おめでとう。
そしてそれは柴咲コウさんという人との素晴らしい出会いがあったからだと思います。
なんて素敵なマリアージュ
お二人の幸せな人生をお祈りします。
現実と虚構のはざまで。
 
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行ったり来たり、その後。政次は戻って来た。そして直虎を現実につなぎ留めていた母上が逝ってしまう。。

はい。

『おんな城主直虎』も残すところあと6回。スダマこと菅田将暉の直政が表舞台でわかりやすい出世物語を展開しておりますが、それは土曜時代劇的8回完結ものな味わいとして、その裏では1年かけて描いてきた直虎の物語がゆるやかに終幕を迎えようとしております。
 
やはり政次ロスと言いますか、34回以降あまり何かを書きたいと思わなかったのですが、先週の44回『井伊谷のばら』での祐椿尼こと母上の退場には心を動かされました。
 
彼女は非常に有能な「奥方」として井伊家を支えてきた人物です。井伊家にとっては「敵」であった今川系の新野家から典型的な政略結婚で嫁いで来た女性。にもかかわらず、後に井伊家を再興する直政を直虎と共に育て上げ、井伊家を磐石にした功労者でもあります。ここまでは史実の通説。
 
物語としての母上は、常におとわを「今いるべき場所」につなぎとめる非常に大事な役割を果たしてきました。
 
おとわの少女時代は「お転婆」の域を超えて無茶苦茶です。
鬼ごっこで鶴に捕まりたくないから滝壺に飛び込む。
亀の身代わりに衣服を取り替えて追っ手に捕まる。
鶴と結婚したくないから家出して解死人に捕まる。
今川の人質になりたくないから氏真と蹴鞠合戦をする。
ここまでで既に4回死んでてもおかしくない状況です。
 
男子の死亡率が常に女子より高い事実は、男子が冒険好きとか名誉を重んじるとか「現実より離れやすい」特性からきていると聞いたことがあります。
 
おとわは女子ですが、やってることは地に足ついてないというか、「7つまでは神のうち」という言葉通り「あの世とこの世の間にある存在」でありいつあっちの世界に行ってしまってもおかしくない子どもでした。
(たけの苦労がしみじみ偲ばれる。。)
 
そんなおとわが出家。
 
出家先の井伊家の菩提寺龍潭寺は、アジールとして機能していたようです。
一歩門を入って「山林!」と叫べば俗世の全てから縁が切れる。

 井伊谷龍潭寺は井伊家の菩提寺である。そこに駆け込めばそれまでの因縁を断ち切れる、過去の柵(しがらみ)を免除されると思われていたわけだ。これを「無縁所」とも言った。アジールだったのである。
 のちの「井伊直虎置文」では、そのような悪さをしてきた「非法の輩」が駆け込んできたときの対処の仕方について述べていて、理非の決断が井伊家の旦那に任せられる場合と龍潭寺の住持が決めていい場合とがあることが明記されている。アジールではあったが、それを決定するにはいくつかのルールとロールの選択があったようなのだ。

建前的にはたとえ今川の兵が追って来ようと、おとわであろうが、亀であろうが、虎松であろうが手を出すことはできなかった場所です。
そして龍雲丸も。

おとわは何度か出家を躊躇ったり諦めようとしますが、そのたびに母にたしなめられます。
 
母はあなたを誇りに思う、家のために身を捨てられる姫なんてそうそういない、「まさに三国一の姫!」とおだてあげて出家を促す母上。
 
本領安堵の引き換えとした出家なのに途中で諦めるなんて「あなたは井伊家を潰す気か」、空腹に耐えかねて戻って来た次郎を追い返す母上。
 
ゲートキーパー的な役割。

でも、それもこれも「アジール」である龍潭寺に可愛い娘を守ってもらうため、そう考えられます。
 
猛獣の子どもみたいだったおとわも、柴咲コウさんになってからは、龍潭寺での修行のおかげか、住民たちと共に生きる立派な僧侶になっていました。
 
しかし、許婚の直親の帰還により、彼女にまた「居場所」の危機が訪れます。

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今川の謀略によって暗殺された亀に連れ去られそうになるおとわを取り戻すために、渾身の力を込める母上!

鳥肌が立ったなぁ。
まるで陰陽師の戦いみたいだった。
財前直美さんはあらためてすばらしい役者さんだと思いました。
 
そして、ようやく本題に戻りますが、44回の『井伊谷のばら』。
この冒頭、おとわがまたもや現世から連れて行かれそうなシーンがあります。
母娘で立花を楽しむ、とても平和な光景なのですが。
 
スダマの初陣が決まり「戦は何が起こるかわからない」と動揺したおとわは、指を刺してしまい、人差し指にポツンと赤い血の玉が噴き出します。
 
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はっとしたのは、母娘だけではなく、視聴者もそうです。
 
私は思わず、政次処刑の後に、おとわの白い頭巾に宿った赤い血の点を思い出してしまいました。
 
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無血開城のはずだったのに、近藤の讒言にはまり、反逆の首謀者として直虎自ら処刑してはならなくなった政次の返り血。
 
戦になってしまえば、何が起こるか誰にも予想できない。
暴力装置である軍隊により戦争が始まってしまうと、人智によるコントロールはもはやきかないのです。
 
楽勝を予想されていた桶狭間の合戦に負け、首桶となって帰って来た父。
 
隠し港に救援軍として迎えたはずだった家康の軍に、無惨に殺されてしまった龍雲党の仲間たち。
 
一滴の血が、おとわに、そして祐椿尼に、これまで失ってきた大切な人たちの命の記憶を、あざやかに甦らせたに違いありません。

政次の死の後にオフェーリアのように精神の均衡を失ったおとわ。
ここでまた「あちらの世界」に行きそうになっても不思議ないこと。

しかし母は強い。

慄くおとわの手を優しく取り「指を突いただけです」と諭す祐椿尼。

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自身も首で帰って来た夫のことを思い出したでしょうに、「赤い血」は呪いでも予言でもなく、短に日常的によく起こる些細な傷であると娘に言い聞かせる気丈な母の姿。

おとわはまた現実に留まることができたのです。

44回は母娘の関係としてさらに劇的なクライマックスが待っているのですが、
アバンだけで泣けました。

残り6回で最後の幼なじみも失ってしまうおとわ。
もう、彼女を引き留める強く優しい母はいない。
寂しいことですが、おとわ自身が自分の人生に対して満足していることを知ることができた貴重な回でもありました。

この物語、最後まで見届けます!







サウダージ、いまここに存在しなくてさびしいということ。『おんな城主直虎』第34回

サウダージというポルトガル語がとても気になっていました。
 
あなたがいなくて寂しい。
 
郷愁、憧憬、思慕、切なさ
いちばん近い言葉は「ノスタルジア」だと言います。
 
単なる郷愁(nostalgie、ノスタルジー)でなく、温かい家庭や両親に守られ、無邪気に楽しい日々を過ごせた過去の自分への郷愁や、大人に成長した事でもう得られない懐かしい感情を意味する言葉と言われる。だが、それ以外にも、追い求めても叶わぬもの、いわゆる『憧れ』といったニュアンスも含んでおり、簡単に説明することはできない。(wikipedeia)
 
33回は神回でしたが、34回は鬼回と言っていいほど、さらにすばらしい出来でかつ心を抉る辛い回でした。
政次を失ってまるでオフェーリアのように夢うつつで少女と城主の間を行き来する直虎の姿を見て、なんだかこの saudade という日本語には翻訳できない言葉が頭に浮かびました。
 
少しだけ長くなりますが、おつきあいください。
 

去年ピエール・バルーというフランスの音楽家が亡くなりました。名画『男と女』のダバダバダ〜♪ の有名なコーラスをご存知の方もいらっしゃるでしょう。


Un Homme Et Une Femme de Claude Lelouch

 

「サラヴァレーベル」というこれも「サラヴァ」=「あなたに祝福を」というポルトガル語から取ったボサノヴァの音楽レーベルを設立し、晩年は日本人の奥様を得て渋谷にイベントスペースも開いています。

フランス文学と音楽に造詣が深くピエール・バルーと親交もあった芥川賞作家の堀江敏幸さんが、そのイベントスペースで彼の最後の日本公演前後の様子を語るのを聞いたのですが、ライブ前は寝たり起きたり日常も覚束ないのにライブになるとしゃんとしてすばらしい歌声を聴かせる姿を見て「ああ、これはピエール・バルーの言う ”ca va, ca vient"(行って、帰る)だな」と思ったそうです。あの世とこの世を行ったり来たり。
 
その「サヴァ・サヴィアン」というフランス語が、「サウダージ」なのだとピエール・バルーは言っていたとのこと。(同じ名前のアルバムもあります)
 
行って、帰る。
行ったり、来たり。
 

 サウダージは、「何か」又は「誰か」から距離が離れていること、又はそれが無いことにより引き起こされる感情をいいます。言語の由来は、ラテン語で孤独を意味する”solitas, solitatis”にあります。ブラジル人がサウダージを感じる時、過去に起こったことの記憶、また過去の経験をもう一度経験したいという強い感情を抱きます。恋愛の詩や歌詞に使われることが多い言葉のひとつです。
言い伝えによると、サウダージポルトガル人がブラジルを発見した時代に造られた言葉だということになっています。祖国や家族から遠く離れて、ブラジルに到着したポルトガル人が抱いた感情が「サウダージ」という言葉になったのでしょう。 
世界で最も翻訳しにくい単語、サウダージの意味

 

 

何かがここにないことで引き起こされる感情。

 

ああ、これは井伊谷なんだろうなぁ。

 

と思いました。

 

直虎が碁盤の上でさまよっていたのは、

甚兵衛たちと綿毛を育て、龍雲党と材木を切り出し、

殿として治めていた井伊谷の領地。

そして、鶴や亀と駆け回っていた幼い頃の井伊谷

 

和尚様から「いっしょに策を考えよう」と言われて「はい」とうれしそうに微笑む直虎は少女の顔をしていました。

 

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井伊谷三人衆の策にはまり、瀬戸村や祝田村の領地を失った直虎。

そして政次という生まれてずっといっしょだった伴侶を失った直虎。

この後さらに武力でなく信頼という力で勝ち取った気賀の地も、龍雲党と共に失います。

井戸脇に「もたらされた」政次の辞世を見、そして気賀の危機を聞いて現生に「帰って来た」直虎ですが、心の中にはずっと失ってしまった「井伊谷」がある。

 

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予告では「政次は生きているのだ」という直虎の言葉がありました。

政次は「行ったり、来たり」するのです。

直虎の心の中に、政次は井伊谷と共にずっと生きている。

政次は35回できっと戻ってきます。

どんな形なのかはわからないけど。

亀も、ほんとに亀の形で戻って来ましたよね。

 

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失ってしまってさびしいだけではなく、遠くにあって会えないだけでなく、サウダージの心というのは、失ってしまったものと共にある(いつでもではない)ということではないのかなぁ、と私は考えるに至りました。

人間は得るものもあるけれど、おとなになればひたすら失ってしまうばかりです。

でも、本当にそれは失われただけなのだろうか。

目の前にはなくても、目の前には見えないけれど、たまに帰ってくることがあるのではないのだろうか。

そんな気持ちで35回を見守ろうと思います。

# ピエール・バルーの亡くなる前のインタビューを置いておきます。彼の歌を聴けば、きっと私たちも「あっち」と行ったり来たりできるのでしょう。

その人が「道しるべ」だった。- ほぼ日刊イトイ新聞


追伸。

ようやく「鶴のうた」が届きました。さすが、33回の台本を読んで菅野よう子さんが1週間寝込んだのち復活して書き上げた渾身の曲集。

初回限定のフォトブックの最後の見開きが、まさに「サウダージ」でもうなんと言ってよいのやら (☍﹏⁰)。。。。

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直虎は凄い。政次は幸せだ。歴史に残る第33回『おんな城主直虎』〜嫌われ政次の一生〜

神回。ってよく言われるけど、これこそ神回ではなかろうか。

プロデューサーも脚本家も意図していなかった結末。

物語世界にはよくあることで、作者も思いもしなかったストーリーが勝手に動き出す。登場人物たちが、人間の意図を超えて勝手に動き始める。今まで積み上げてきたものの集大成。奇跡の着地点。

見終わったあと、私は物語世界に圧倒され、ある種の清々しさしか感じませんでした。

すごい!役者もスタッフもやりきった。神様が降りてきた。

 

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直虎が政次の死を見届けるため刑場に向かう。

それは予想がつきます。

しかし、この物語はその先をいく。

誰も予想もしなかった先をいく。

プロデューサーも脚本家も思いもしなかった先をいく。

AERAの岡本制作統括のインタビューが非常に印象的でした。 

本の森下佳子さんも「こうしよう」と考えて、理屈の上で、あの(処刑の)シーンを決めたわけではないと思います。森下さんの中で2人の関係を紡いで、積み重ねていったらこうなってしまった。政次最期のシーンについて、森下さんと事前にそこまで細かくは打ち合わせをしていなかったんですが、私も森下さんも「処刑場に行って、直虎がお経をあげる」とかかな、と思っていました。でも、書いているうちにああいう形になったそうで。ある日の夜に初稿が私のところに送られてきて、読んだ後、大泣きしてしまい……。その後、急激に眠気が襲ってきて、そのまま寝てしまいました。これは受け止めきれない、と。

そうです。

直虎が「自分が引導を渡す」と刑場へ赴く。そこまでは予想がつきます。

直親の時は立ち会えなかった。

でも、政次は立ち会える。

でもね、わざわざ龍雲丸が救いに行ったのに政次は「本懐を遂げるため」と白の碁石だけ龍に託して返すんだよね。

この石は直虎と政次の魂の交流の証。

直虎はいつも政次の打ってきた黒の先手を白の後手で受けてきた。

次はおまえの番だ。

碁石を受け取った直虎は政次の最期の意志をどうとらえればよいのか一晩考えぬくのです。

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考えに考えた末、出した結論。政次の意志に応えるためには、そして井伊にとって最善の策をとるためにはどうすればよいのか。


それが自ら小野但馬を処刑する、です。

井伊を今川の国衆ではなく、徳川の味方として認めさせる。

そのために政次が打った最善の策を、直虎は断腸の思いで受け止め、政次のさらに上を行く策で完結させる。

 政次は刑場で直虎を認め、心中ではああ、これで俺は本当にこころおきなく死ねる、と思ったと思うのです。

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私はこの水辺の光景を見て、折口信夫の『死者の書』の大津御子の処刑の場面を思い浮かべました。御子はその刹那に大職冠の娘を目にし、亡霊となってからも恋するのです。

はっきり聞いたのが、水の上に浮いている鴨鳥の声だった。今思ふと、待てよ。其は何だか一目惚れの女の哭き声だった気がする。をを、あれが耳面刀自だ。其瞬間、肉体と一つに、おれの心は、急にしめあげられるような刹那を、通った気がした。俄かに、楽な広々とした世間に出たやうな感じが来た。さうして、ほんの暫く、ふっとそう考えたきりで・・・・

空も見ぬ、土も見ぬ、花や、木の色も消え去った

 でも、われらが殿、直虎はそんな文学クラスタの甘い思惑など吹っ飛ばします。

自ら槍を取り、まっすぐ政次に向かう。

視聴者の、いえ政次の想像のさらに上を行く。

ああ、さすがはおとわだ。俺が生涯を賭けるかいのあった女だ。

政次は本当に幸福な気持ちだったと思います 

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呆然とする近藤家中たちに一礼し、直虎は無表情でひとり立ち去ります。

たったひとりで。

わずか2分間のできごと。

前出した岡本Pのインタビュー

私もつくりながらぐったりしてしまったんですが、音楽担当の菅野ようこさんも普段はパワー全開な方なのに、第33回の脚本を読んで10日ほど熱で寝込んでしまって……。森下さんも書き終えたときは虚脱状態でしたし、キャストもみるみる集中していきました。

(直虎役の)柴咲さんからは「台本を読んでこんなに衝撃を受けたことはない」と言われました。財前直見さんもちらっと「ものすごい愛の形よね」とおっしゃっていましたね。(高橋)一生さんからは本を読んだ感想自体は聞いていませんが、「『磔(はりつけ)にされて、槍で突かれ、血を吐いて死ぬ』なんてシーン、これまで大河ドラマにありましたっけ?」という話をしました。

 

六左衛門役の田中美央さんのブログにも、台本を読んでからの高揚と厳粛な気持ちが描かれています。

 

おんな城主 直虎 第33回「嫌われ政次の一生」

 この日の撮影前後の事は良く覚えています。

 「あのシーンの撮影はいつなのか?」

 キャスト、スタッフ、皆、口には多く出しませんでしたが、誰もが気にしている様子がヒシヒシとスタジオ内にありました。

 「いついつらしいよ」

 「自分の撮影は無いのだけれど見守りに行きたいね」

 「行きたい、行きたいよ」

 そんな声がチラホラ聞こえるも、

「これは二人だけの世界、邪魔してはいけないよね」

 と、

 皆がお二方を慮り、シーンの関係者のみで静かに撮影が行われたと聞いています。

 

撮影後、

 翌週のスタジオには、まるで上級生が卒業してしまった校舎のように、

 何も変わらないのに、確実に一人分、何かが足りない、そんな空虚さを感じずにはおれませんでした。

 今夜、素晴らしいものをみせて頂きました。

 一生さん、本当に有難うございました。

 

「ふたりの世界を邪魔してはいけない」

そんな心遣いがとても尊い

 

方久役のムロさんもtwitter

 

柴咲コウさんと高橋一生さんの一世一代の名演といってよいのではないでしょうか。

演出は平清盛の「叔父を斬る」と「友の子、友の妻(義朝の最期)」の渡辺一貴さん。

最高だわ。。。

 

そして辞世の句。

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「白黒をつけむと君をひとり待つ 天つたふ日ぞ 楽しからずや」

 白黒をつけようと君をひとり待つ。夕暮れも楽しくないことがあろうか。

これが直訳。

柿本人麻呂万葉集に次の句があります。

「天つたふ 入り日さしぬれ 大夫と思へるわれも 敷袴の衣の袖は 通りて濡れぬ」

夕日がさしてくると、雄々しい男だと思っていた自分も、逢瀬に敷いた着物の袖が涙ですっかり濡れてしまったよ、という妻を恋う歌です。

「天つたふ」というのは「日」にかかる掛詞で、「入り日」を意味し、日が沈む頃、つまりは妻問いの時間のことをさすそうです。

政虎の夜な夜なの囲碁デートは、やっぱり妻問いの時間だったのですね。。。

 

政次の返り血を真っ白な頭巾に一滴だけ残し、白昼夢のような龍潭寺の一室で、碁盤の前にたたずむ直虎。これが過酷なる現実です。

 

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「つづーく」

と心なしかいつもとはちょっと違って聞こえる、中村梅雀さんのナレーション。

そうなんです、直虎の物語は続くのです。

いいなずけを失い、鶴翼のつばさを失い、それでも直虎の物語は続くのです。

政次ロスなんてもったいない。

涙をふいて、しっかり赤い目を見開いて、これからも私は愛すべき井伊谷のこれからを見届ける覚悟です。

 

政次がひっそりと持ち帰った白い碁石。それは生涯かけて守ると誓った想い人の形代。「おんな城主直虎」第32回補足

こちら私の直虎専用ツイッターのつぶやきですが、月夜のデート碁の翌朝、直虎からの逆プロポーズ(?)を断った翌朝、なつへのプロポーズを敢行した翌朝、政次の着物のたもとからこぼれ落ちた白い碁石

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なつは「何、これは?」と白い石を見つめるわけですが、視聴者は知っている。直虎と政次のデート碁はなぜか必ず政次が黒の先手、直虎が白の後手。これは昨晩の直虎が打った白の一手です。
 
なぜ、その白の碁石が政次の着物から??
 

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前夜の出来事をおさらいしてみます。自分から龍潭寺の直虎の元にやって来た政次。
さっそくふたり碁盤をはさみますが、胸熱の「殿とりかえごっこ」を経て、徳川からの書状、そして「政次に主の座を譲ってもいい」の直虎還俗するから俺の嫁になるのか!(殿はそこまで考えてない感じだったけど)発言があります。
 

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政次、沈黙。高橋一生の喉仏がごくりと動く。

「では、還俗して俺の嫁になるか?」

とこの三十数年間ずっと思い続けてきたことは口に出さず、代わりにどんなに直虎が領主として慕われているかを語り始めます。

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やっといちばん認めてもらいたかった政次に、遂に「もはや降りることは許されぬ」とまで言われ泣いてしまったおとわ。政次はやおら碁盤を片付け始め、うわっ 政次ついにここで主従の垣根を取っ払っていっちゃう??? とみな固唾を飲んだと思うのですが、そんな真田丸なことは起こらず。

さっさか 明るい月夜の元に碁盤を運んで行きます。満ち足りた表情の政次。

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さて、問題です。
このあと、ふたりの囲碁は続いたのでしょうか?
盤上には、白く輝く直虎の一手。
 
「もうすぐ夜じゃなくて昼間堂々と囲碁が打てるよね!」的明るい井伊の未来を殿が無邪気に語ったあと、「はい」と応えた政次はそのまま立ち上がってやおら「おとわ」と次郎をお姫様抱っこをして。。
 
てなことは残念ながら起こらず、多分このまま解散したんだと思うのです。
話したいこと全部話しちゃったし。
 
で、政次は、盤上に残った直虎の置いた白の石を、そのまま大事に袂に入れて持ち帰ったのではないかと。。。
 
ようやく自分の気持ちにも決着がついた。(きっと政次も碁盤をはさんで直虎に話しているうちに気持ちが固まっていったはず)これからも何があっても生涯をかけて守り抜いていく大切な大切な人。その人が唯一、自分と心を通わせる手段として幾夜も幾夜も越えて手にしていたもの。長いトンネルを抜ける最後の夜に手にしていたもの。
 
それが直虎が打った白の碁石です。
(碁を終えて屋敷に帰ってきた政次は本当におだやかな表情をしている)
 

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その石が翌朝コロリと転がり出た。
 
なつは、その石をどうしたかなぁ。
 
「こんなものが出てきましたが」と渡せば、それが政次の六文銭になる。
 
闇の中で、次郎法師の白い頭巾だけはほの明るく、考えてみればおとわはマリア様のようにけがれのないヴァージンでもある。「地獄へは俺が行く」と言い放った政次は、いまさらおとわを嫁にどうとかは考えてもいないだろう。一瞬心が揺らいだように見えたけど(そこはイッセイさんの魔法)自分は黒子に徹し、おとわは民のために捧げる。
 
第33回、果たしてこの白い石は出てくるのだろうか。。。
 

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