アスフォデロの野をわたる途中で

忘却の彼方にいってしまいがちな映画・音楽・本の備忘録

リボンの騎士、百鬼丸。は可愛かったけどLIFEはゼロ。。orz どろろ 第5話 【追記】

超楽しみで、月曜日23時、Amazonプライムの配信が始まると同時に観た「どろろ」第5話。

 
(Φ△Φ) 
 
(ФДФ)
 
(ↀДↀ)
 
 
呆然として、つぶやくことも、ましてやブログを書くことも考えられない23分間。。
 
火曜日夜に見直そうと思いながらとにかく床につき、翌日会社から帰宅するも再生するのが怖くて、つい「海外の反応動画 マッシュアップ」などでお茶を濁し、女子たちが百鬼丸おリボン結びに「So cute!!!」と悶絶する姿や、男子たちが「Hahahaha!」と百鬼丸どろろの声をうざがってる姿を慰めにしつつ、結局まだ二度見できてない状況。。
 
先行カットにもさんざん出ていた百鬼丸おリボン姿。
 
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こんなんでキャンセリング効果あるのか?? とどろろが結んでくれた中世姉さまかぶりに思いましたが、いや本当に可愛いわー
 
原作のハツラツ少年っぽい百鬼丸も、69年アニメの劇画っぽい百鬼丸も、それぞれ魅力がありますが、21世紀の百鬼丸のこの中性っぽい造形は秀逸。
 
ああ、そして!
ついに百鬼丸はみおちゃんと出会ってしまうのだ!
 
赤い花つんで あの人にあげよ
あの人の髪に この花さしてあげよ
赤い花 赤い花 あの人の髪に
咲いて ゆれるだろう
お日様のように
 
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きっと同い年くらいなんだろうなぁ
 
みおが朝靄のなか口ずさんでいた歌、
なんか聴き覚えあるなー
と思ったら、1976年のNHKみんなのうた」でも放映された「赤い花 白い花」とのこと。
 
みんなのうた、になるくらいだから淡い初恋の歌だよね。
今回のアニメは本当に歌の使い方がうまい。OPもEDもイマドキ感満載なのに、挿入歌に半世紀前の忘れられてたけど不滅っぽい秀歌を使うとは!
 
 
しかしこの時ミオが朝の冷たい川の中にいたのには理由があってだな。。(>﹏<)
 
(この先どんどんネタバレしていきますのでご注意)
 
 
今回、初見だけで魂けずられた理由を自分なりに考えてみた。
 
まずは何と言っても、ミオの孤児たちを養っている「仕事」が具体的に「シーン」として描かれていたこと。
原作では百鬼丸とみおのそれこそ花が舞い飛ぶようなラブラブシーンで「あたしはきたない」(記憶)と語り入ってるだけで、その先に続くカットがみおが雑兵たちに食べ物を椀ごと投げつけられて倒れている姿だったことで子供の私は「乞食みたいってことかな?」とシンプルに考えていた。
大人になった今でもその真の姿には気づいてなかったというか、考えないようにしていたと言うか。。
 
それを敢えて突きつけてくるとは!
 
さすが、メインライター小林靖子による今回の脚本。
女性だから書ける、ってことはあると思う。
百鬼丸と出会った朝の川でのシーンも「子宮を冷やして堕胎を試みていたのでは」考察も見かけたけど、単に「禊いでいる」だけかもしれないが、どちらにしても望まない妊娠をする可能性がある「仕事」なのは確か。
それをラストにどろろが目撃してしまう。
 
というオニ構成。
 
さらに衝撃的だったのが、
百鬼丸が、
喋った!
 
いや、
叫んだ!
 
いや、真に衝撃的だったのは、百鬼丸が「叫ぶことになった」理由。
なんと、せっかく以前取り戻してるはずの「脚」を魔物に食い千切られてしまう。
 
えー!!!
 
こんなことは原作にはなかった。
どんなリメイクにもなかった。
考えたこともなかったけれど、確かに鬼神と日夜連戦してればそんな可能性だってあるはず。
それはアタマではわかるけど、でも、これからいったいどうなっちゃうの???
 
と、この第5話のラストでは、ミオの痛み、どろろの痛み、百鬼丸の痛みが同時に全国のいや全世界の視聴者諸君に無数の矢となって突き刺さり、私も全身やられてしまいました。
 

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甘く見ていた、このリメイク。
なんか相当の覚悟の元に作られているし、相当の覚悟が視聴者にも突き付けられている。
 
 
まだ、矢は刺さったままなのだが、このまま流血し続けるのもなんなので、今日これから帰ったら勇気を出して再度視聴してみます。
 
もしかしたらそこには一筋の希望があるやも知れぬ。
 
南無
 

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#追記
 
ということで、再見。
 
んー
 
これ、最終的に何を目指しているのかな?
 
というのは、月曜日の衝撃から水曜日となり少し立ち直りまして。ミオちゃん&百鬼丸パートから、醍醐パッパのパートにもようやく目を向けられるようになって。
 
ミオちゃん&孤児たちの悲劇は、結局は醍醐パッパがベビーだった百鬼丸を生贄として獲得した平和を、成長した百鬼丸が鬼神退治に目覚めたおかげで基礎からなし崩しになった「鬼神たちとの契約反故」のせいで勃発した戦のせいだという救われのなさ。
 
百鬼丸はなんのために戦っている?
 
もちろん、個人的に失われた自分の身体を取り戻す、という当然の命題はあるわけですが。
それによって醍醐領は平和を失い、民は不幸になっていく。
Oh My God.
 
等価交換、というのはおそらくこの「どろろ」にも着想を得た「鋼の錬金術師」的思想ではあるとはいえ、それってホントなの?
という気持ちもある。
 
何かを得るためには、代わりに何かを失わなければならない。
それって本当??
 
百鬼丸が鬼神を倒すたびに、身体のパーツを取り戻し、より人間らしくなっていく。
が、その代わり、極めて高かった戦闘能力は失われていき、醍醐領は天災や人災にすら見舞われるようになる。
 
2019年版アニメオリジナルの設定だが、これは本当に不幸なことなのか?
 
百鬼丸の母、お縫の方は、夫に「この国の安寧は一人の犠牲の上に築かれていて、それは極めてもろい」的辛辣な言葉を投げかける。それを廊下で耳にし顔をくもらす弟の多宝丸。
家族の全てが、百鬼丸と鬼神の秘密を知っていて、幸せそうだった一家にも影を落としている。
 
幸福のために犠牲が必要、なんて嘘っぱちだ。
ミオや孤児たち、さらには戦いに駆り出されている雑兵たち、心を病んでしまった第3話の寿海や第4話田之助の「個人の犠牲」はより大きな社会の幸福のための「必要悪」なんかじゃない。
 
因果応報的、コインを自動販売機に入れればコーラが買える、という単純な仕組みが世の中全てを支配していると考えるのは間違っている。
 
「奪われるだけじゃダメだ。俺たちもサムライたちから奪ってやるんだ」と意気投合してるぽかったどろろとミオ姉だけど本当にそうなの?
奪われたら奪い返す、そんな世の中でいいの?
 
先のことだけれど、原作では領土を追われた醍醐とお縫の方が、二人で落ちていく姿が描かれる。
私はこれを読んだ時、哀れさより安堵を覚えた。これで二人はようやく幸せになれるんじゃないか? などと思ったりした。
みおの生業を想像できなかった、子供の浅い考えだけど。
 
今回はどう描かれるのか、楽しみだ。
 
#買ってしまった「テヅコミ」vol.5 の浅田弘幸さんの対談に「(アニメでは)あえて触れなくていいところまで触れていて」「終わり方にも視聴者のみなさんに、さまざまな感想を持っていただけるんじゃないかと思ってます」とあった。
どろろと百鬼丸は別の道を行くのか?
そして醍醐パッパ一家はどうなる??
ラストきてほしくないけど楽しみ。
 
 
そして、どんどん人間らしくなっていく百鬼丸
 
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ミオの朝帰りを待っていた百鬼丸のなんてうれしそうなこと!
 
(沸点が低過ぎるのでこの微妙な微笑みが相当なうれしさを表していると4話を経てきた視聴者にはわかるところもすごい)
 
Sooooooo cute (๑ↀᆺↀ๑)✧
 
確かにネコみある。
私を毎晩待ってくれていたペルシャMixのクールな愛情表現に似ている。
 
戦う機械人形から、どんどん人間らしくなっていく百鬼丸は全然不幸じゃない。
どんどん悲しいことも増えていくけど、それは不幸なことなのか?
いまはノイズとしか感じられない身の回りの虫や動物や自然の営みを感じられるようになり、どろろのウルサイ声もそのうち心地良く聞こえるようになっていくはずだ。
 
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 そして再び失われた右脚はどうなる??
どういうオリジナル設定??
 
いよいよ第1クール前半のクライマックス
第6話がいったいどういう結末を迎えるのか、本当に楽しみ!
 
#「赤い花 白い花」の1番は女の子に捧げる歌、2番は男の子に捧げる歌、そして3番は恋人同士の2人に捧げられる歌詞なんだけど、なんだかラストシーンが見えるようだね。。
 
今のところ「手を頬に触れる」が百鬼丸の最大級の愛情表現なのだが。。