アスフォデロの野をわたる途中で

忘却の彼方にいってしまいがちな映画・音楽・本の備忘録

「勝手を言うなぁあああああ!!!」の咆哮は正論だと思うぞ、百鬼丸。どろろ 第23話 感想

あの端正な百鬼丸のお顔がここまで崩れるとは。

キングダムかと思いました。

しかし無表情の仮面をつけた「木偶」だった百鬼丸がここまで感情丸出しになるというのは、ある意味成長なのではないかと。

最終話を残してここまで遂にきたかと。

お姉さんはうれしいぞ。

 

f:id:yumi-kuroda:20190618111338p:plain

 

そして鬼神に魂を売った多宝丸一行の「おまえの血と肉を国のために寄こせ!」っていう論理に

「勝手を言うなぁあああああ!!!」

と咆哮する百鬼丸はとても正しいと思う。

 

個人に対し血と肉をもって国のために贖え、ってそれ徴兵の理論じゃん。

富国強兵で最後には原爆くらって滅亡の危機に陥った大日本帝國の論理。

綱吉の時代に「生類憐れみの令」をもって中世までの暴力による自力救済の道にモラルの面で終止符を打ち、明治維新まで庶民による文化国家を築いていたニッポン。

「国のために個人を捧げろ」っていう考え方は絶対に間違っている。

前にも書いたけど、コインを入れればコーラが出てくる、という単純な等価交換の論理なんて嘘っぱちだ。

 

取り戻した自分の腕から流れ出る血を見て寿海パッパ(ママ)の苦言を思い出し、どろろと母上に再会した際にとっさに腕を後ろに隠すシーンを見ると、百鬼丸は鬼神にはなっていず、人間としての苦悩と葛藤しながら多宝丸に対峙していると見る。

 

 

一方、どろろの方でも「気づき」があったな。

 

f:id:yumi-kuroda:20190618115025p:plain

f:id:yumi-kuroda:20190618115059p:plain

f:id:yumi-kuroda:20190618115136p:plain

f:id:yumi-kuroda:20190618115223p:plain

 

神仏やサムライに頼るのではなく、自分の「手」で成し遂げること。

縫の方のことを無能だと言う方も見かけますが、「みな何もぜず口を開いて待っているヒナと同じじゃないか」とこの状況を看破していて、それによってどろろも気づいたではないですか。

 

f:id:yumi-kuroda:20190618120835p:plain

f:id:yumi-kuroda:20190618120911p:plain

f:id:yumi-kuroda:20190618120944p:plain

 

どろろは自分の進むべき道を見極めた。

おっとちゃんとおっかちゃんとイタチが命がけで守ってくれた隠し金。

ミドロの村の弥彦、次平太、道秀の3人組(スピンオフ期待)がきっとどろろの力になってくれるだろうし、どろろは自分たちといっしょに百鬼丸も歩んでくれると信じている。

 

偶然だろうけど、陸奥と兵庫が百鬼丸の手ではなく、鬼神と化したミドロ号と相打ちになったところは少し救われた。

(つまりは、百鬼丸みずからの手ではなくとも、なんらかの原因で其の者が滅べば肉体は百鬼丸に戻されるということか?)

 

あと、最後にミドロ号が仔馬に会えたことも。

 

OPの、百鬼丸が自分の瞳でどろろの姿を捉えて優しい笑顔を見せるシーン、

最終話で見られるといいな。

 

f:id:yumi-kuroda:20190618122955p:plain

f:id:yumi-kuroda:20190618123029p:plain

f:id:yumi-kuroda:20190618123106p:plain