生きているミオ姉は、だからこそ尊い。どろろ 第6話
どろろに泣かされた。
見たいんだけど見たくなかった第6話「守り子唄の巻・下」
体調万全にして観ようと、ようやく見た火曜日夜が明けた。
考えていたより清々しい気分。
1クール目のクライマックスはおそらく「ばんもん」の百鬼丸と多宝丸の兄弟対決で、2クール目は多分どろろの過去「無残帖」が前半メインだと思っているので、6話でこんな心もっていかれてたら、6月の新しい元号になった時にはどうなっているか、考えるだけで恐ろしくて嬉しい。
(このアニメ、平成と新元号を跨ぐものであったか!)
第5話で、ミオのお仕事の真の姿を目撃してしまったどろろが、どう自分の心にカタを付けるのかと思ったら、なんと自分のおっかさんとの対比で自分の心だけではなく、視聴者の心までを落ち着かせてしまった。少なくとも、私はそう。
「私の仕事を知ってるのね」
5歳児もしくは8歳児くらいに説かれる!
チコちゃんか?
もしや菩薩観音の現生の姿では?
どろろは小さい時(いまでも十分ちびっこだけど)おっかちゃんとずっと旅をしていていろいろな仕事を見ているし、おっかちゃんは決してミオのように身を売る仕事はしなかった。だから(どろろには食べさせても自分は食べられなくて)結果死んでしまったのだけれど、そんなおっかちゃんは偉い。でも、戦災孤児たちを食べさせるために身を売って生きているミオも偉い。
どろろのおっかちゃんはおっとちゃんと共に理想ある野盗のリーダーだったし、かつては良いとこの家の出だったかもしれないし、その誇り高さのせいで大事なひとり子を残して亡くなるという悲運を辿ってしまったのかもしれない。
でも、第1話で見たどろろの「気高い」とも言える独立精神は、このおっかちゃんと義賊っぽかったおっとちゃんに育てられて身に付いたものだ。
一方、ミオは農民出身が故に、ある種、地に着いた図太さというか逞しさが育てられていた面があると思う。
そのどちらが良いというのではなく、どちらの生き方も肯定しているのが、この作品の良いところだ。
このミオの夢の理想郷は、大好きだった大河ドラマ『おんな城主直虎』の「かくし里」にそっくりだ。
まさか第6話のラストに来るとはね。
これは号泣ものでした。
この裏ジャケのどろろが、また別タッチで可愛い。
おどけて笑うのは この道が暗いから
明かりを灯すのに 僕がいるでしょう
この黄金の明かりを道連れに、二人は旅を続けるのだ。
「怒りのあまり鬼神になっちゃうかも!」
的百鬼丸はもう本当にかっこよく狂おしくそして切なかった。
☆追記ようやく書けました