アスフォデロの野をわたる途中で

忘却の彼方にいってしまいがちな映画・音楽・本の備忘録

リボンの騎士、百鬼丸。は可愛かったけどLIFEはゼロ。。orz どろろ 第5話 【追記】

超楽しみで、月曜日23時、Amazonプライムの配信が始まると同時に観た「どろろ」第5話。

 
(Φ△Φ) 
 
(ФДФ)
 
(ↀДↀ)
 
 
呆然として、つぶやくことも、ましてやブログを書くことも考えられない23分間。。
 
火曜日夜に見直そうと思いながらとにかく床につき、翌日会社から帰宅するも再生するのが怖くて、つい「海外の反応動画 マッシュアップ」などでお茶を濁し、女子たちが百鬼丸おリボン結びに「So cute!!!」と悶絶する姿や、男子たちが「Hahahaha!」と百鬼丸どろろの声をうざがってる姿を慰めにしつつ、結局まだ二度見できてない状況。。
 
先行カットにもさんざん出ていた百鬼丸おリボン姿。
 
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こんなんでキャンセリング効果あるのか?? とどろろが結んでくれた中世姉さまかぶりに思いましたが、いや本当に可愛いわー
 
原作のハツラツ少年っぽい百鬼丸も、69年アニメの劇画っぽい百鬼丸も、それぞれ魅力がありますが、21世紀の百鬼丸のこの中性っぽい造形は秀逸。
 
ああ、そして!
ついに百鬼丸はみおちゃんと出会ってしまうのだ!
 
赤い花つんで あの人にあげよ
あの人の髪に この花さしてあげよ
赤い花 赤い花 あの人の髪に
咲いて ゆれるだろう
お日様のように
 
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きっと同い年くらいなんだろうなぁ
 
みおが朝靄のなか口ずさんでいた歌、
なんか聴き覚えあるなー
と思ったら、1976年のNHKみんなのうた」でも放映された「赤い花 白い花」とのこと。
 
みんなのうた、になるくらいだから淡い初恋の歌だよね。
今回のアニメは本当に歌の使い方がうまい。OPもEDもイマドキ感満載なのに、挿入歌に半世紀前の忘れられてたけど不滅っぽい秀歌を使うとは!
 
 
しかしこの時ミオが朝の冷たい川の中にいたのには理由があってだな。。(>﹏<)
 
(この先どんどんネタバレしていきますのでご注意)
 
 
今回、初見だけで魂けずられた理由を自分なりに考えてみた。
 
まずは何と言っても、ミオの孤児たちを養っている「仕事」が具体的に「シーン」として描かれていたこと。
原作では百鬼丸とみおのそれこそ花が舞い飛ぶようなラブラブシーンで「あたしはきたない」(記憶)と語り入ってるだけで、その先に続くカットがみおが雑兵たちに食べ物を椀ごと投げつけられて倒れている姿だったことで子供の私は「乞食みたいってことかな?」とシンプルに考えていた。
大人になった今でもその真の姿には気づいてなかったというか、考えないようにしていたと言うか。。
 
それを敢えて突きつけてくるとは!
 
さすが、メインライター小林靖子による今回の脚本。
女性だから書ける、ってことはあると思う。
百鬼丸と出会った朝の川でのシーンも「子宮を冷やして堕胎を試みていたのでは」考察も見かけたけど、単に「禊いでいる」だけかもしれないが、どちらにしても望まない妊娠をする可能性がある「仕事」なのは確か。
それをラストにどろろが目撃してしまう。
 
というオニ構成。
 
さらに衝撃的だったのが、
百鬼丸が、
喋った!
 
いや、
叫んだ!
 
いや、真に衝撃的だったのは、百鬼丸が「叫ぶことになった」理由。
なんと、せっかく以前取り戻してるはずの「脚」を魔物に食い千切られてしまう。
 
えー!!!
 
こんなことは原作にはなかった。
どんなリメイクにもなかった。
考えたこともなかったけれど、確かに鬼神と日夜連戦してればそんな可能性だってあるはず。
それはアタマではわかるけど、でも、これからいったいどうなっちゃうの???
 
と、この第5話のラストでは、ミオの痛み、どろろの痛み、百鬼丸の痛みが同時に全国のいや全世界の視聴者諸君に無数の矢となって突き刺さり、私も全身やられてしまいました。
 

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甘く見ていた、このリメイク。
なんか相当の覚悟の元に作られているし、相当の覚悟が視聴者にも突き付けられている。
 
 
まだ、矢は刺さったままなのだが、このまま流血し続けるのもなんなので、今日これから帰ったら勇気を出して再度視聴してみます。
 
もしかしたらそこには一筋の希望があるやも知れぬ。
 
南無
 

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#追記
 
ということで、再見。
 
んー
 
これ、最終的に何を目指しているのかな?
 
というのは、月曜日の衝撃から水曜日となり少し立ち直りまして。ミオちゃん&百鬼丸パートから、醍醐パッパのパートにもようやく目を向けられるようになって。
 
ミオちゃん&孤児たちの悲劇は、結局は醍醐パッパがベビーだった百鬼丸を生贄として獲得した平和を、成長した百鬼丸が鬼神退治に目覚めたおかげで基礎からなし崩しになった「鬼神たちとの契約反故」のせいで勃発した戦のせいだという救われのなさ。
 
百鬼丸はなんのために戦っている?
 
もちろん、個人的に失われた自分の身体を取り戻す、という当然の命題はあるわけですが。
それによって醍醐領は平和を失い、民は不幸になっていく。
Oh My God.
 
等価交換、というのはおそらくこの「どろろ」にも着想を得た「鋼の錬金術師」的思想ではあるとはいえ、それってホントなの?
という気持ちもある。
 
何かを得るためには、代わりに何かを失わなければならない。
それって本当??
 
百鬼丸が鬼神を倒すたびに、身体のパーツを取り戻し、より人間らしくなっていく。
が、その代わり、極めて高かった戦闘能力は失われていき、醍醐領は天災や人災にすら見舞われるようになる。
 
2019年版アニメオリジナルの設定だが、これは本当に不幸なことなのか?
 
百鬼丸の母、お縫の方は、夫に「この国の安寧は一人の犠牲の上に築かれていて、それは極めてもろい」的辛辣な言葉を投げかける。それを廊下で耳にし顔をくもらす弟の多宝丸。
家族の全てが、百鬼丸と鬼神の秘密を知っていて、幸せそうだった一家にも影を落としている。
 
幸福のために犠牲が必要、なんて嘘っぱちだ。
ミオや孤児たち、さらには戦いに駆り出されている雑兵たち、心を病んでしまった第3話の寿海や第4話田之助の「個人の犠牲」はより大きな社会の幸福のための「必要悪」なんかじゃない。
 
因果応報的、コインを自動販売機に入れればコーラが買える、という単純な仕組みが世の中全てを支配していると考えるのは間違っている。
 
「奪われるだけじゃダメだ。俺たちもサムライたちから奪ってやるんだ」と意気投合してるぽかったどろろとミオ姉だけど本当にそうなの?
奪われたら奪い返す、そんな世の中でいいの?
 
先のことだけれど、原作では領土を追われた醍醐とお縫の方が、二人で落ちていく姿が描かれる。
私はこれを読んだ時、哀れさより安堵を覚えた。これで二人はようやく幸せになれるんじゃないか? などと思ったりした。
みおの生業を想像できなかった、子供の浅い考えだけど。
 
今回はどう描かれるのか、楽しみだ。
 
#買ってしまった「テヅコミ」vol.5 の浅田弘幸さんの対談に「(アニメでは)あえて触れなくていいところまで触れていて」「終わり方にも視聴者のみなさんに、さまざまな感想を持っていただけるんじゃないかと思ってます」とあった。
どろろと百鬼丸は別の道を行くのか?
そして醍醐パッパ一家はどうなる??
ラストきてほしくないけど楽しみ。
 
 
そして、どんどん人間らしくなっていく百鬼丸
 
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ミオの朝帰りを待っていた百鬼丸のなんてうれしそうなこと!
 
(沸点が低過ぎるのでこの微妙な微笑みが相当なうれしさを表していると4話を経てきた視聴者にはわかるところもすごい)
 
Sooooooo cute (๑ↀᆺↀ๑)✧
 
確かにネコみある。
私を毎晩待ってくれていたペルシャMixのクールな愛情表現に似ている。
 
戦う機械人形から、どんどん人間らしくなっていく百鬼丸は全然不幸じゃない。
どんどん悲しいことも増えていくけど、それは不幸なことなのか?
いまはノイズとしか感じられない身の回りの虫や動物や自然の営みを感じられるようになり、どろろのウルサイ声もそのうち心地良く聞こえるようになっていくはずだ。
 
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 そして再び失われた右脚はどうなる??
どういうオリジナル設定??
 
いよいよ第1クール前半のクライマックス
第6話がいったいどういう結末を迎えるのか、本当に楽しみ!
 
#「赤い花 白い花」の1番は女の子に捧げる歌、2番は男の子に捧げる歌、そして3番は恋人同士の2人に捧げられる歌詞なんだけど、なんだかラストシーンが見えるようだね。。
 
今のところ「手を頬に触れる」が百鬼丸の最大級の愛情表現なのだが。。
 

 

 

 

最初に聴いたのは、雨と哀しみ。どろろ 第4話

これは傑作だ。それも、ものすごい傑作。

1話目から思ってたけど、確信に変わった。

(ネタバレあります)

 

アヴァンで、今話の主人公、田之助が止むを得ず人を斬り、その血しぶきが飛ぶ。回想なので、モノクロの物語に血しぶきだけが赤い。

女王蜂のOPに変わり、ここもモノクロで要所だけがカラー。ドラマ性を象徴するカットが続き、そして毎度ほれぼれするアクションの百鬼丸の殺陣。

決めで麦人さまのナレーションによるタイトルコールと書による「妖刀の巻」

 

いやー完璧だ。完璧。

話を見る前で満足。いや、満足しちゃいかん。これから至福の23分だー

 

そして、本編オープニングは雨の中立ち尽くす百鬼丸

どろろによると、もう小一時間もこのまま。

雨を感じているんだ!

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と、第2話で神経を取り戻したことを知っている視聴者は思いますが、それを代弁してくれる本話のヒロイン、おすし。

「きっといいとこのうちの娘だろ?」と身なりだけではなく、その物腰で判断するどろろはなんて観察眼のある5歳児!

(原作では風呂に4年間入ってないらしいので、8歳くらいの可能性もある)

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慈愛あふれるまなざし。

本作に出てくる女性は、みな強くて優しい。

 

今回感心したのは、(毎回そうだけど)設定がとてもしっかりしていること。

田之助が城主の命令で敵でもない味方を大量に惨殺することになったのは、砦を建設した大工たちの口封じのため。

設計の秘密を守るために、大工たちを殺すことは中世まで東西問わず行われていたことだ。フリーメンソンは、大工たちが自分たちの身を守るために結社を組んだことが始まりのはず。(曖昧な記憶ですが)

そして、どろろ田之助の「妖刀」を手にすることになるのは、原作と違って、田之助との最初のバトルで受け止めた刀と共に吹っ飛ばされた百鬼丸の左の義足を取りに行った時。

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刀を盗もう、という意図ではなく、偶然手にとってしまった妖刀がその魔力のために離れなくなる。

よくできてるなー

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そして、遂にどろろの「アニキ」呼び!

妖刀が離れなくなったどろろと百鬼丸のバトルも見ものでしたが、魂の白い炎と赤い炎を見分けている百鬼丸は、妖刀だけを吹っ飛ばす。

疲れ切って思わず「アニキ・・」と呼びかけながら倒れかかるどろろを、百鬼丸は優しく支え、妖刀に呼ばれた田之助が登場すると、そっと傍に寝かせる。。。

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いいなー

この繊細な描写。

 

で、鬼神とのバトルに移るわけですが、百鬼丸に見えているのは妖刀の赤い炎だけ。あやつられている田之助はグレー。

 

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 田之助自身は悪ではない。

なんで、どろろと同様に百鬼丸は妖刀だけやっつけるつもりだったと思うのですが、刀を装着した腕が抜けてしまい、流れでそのまま田之助を切ってしまう。

これもよくできてるなー

脚本は金田一明という方だそう。

 

そして今回、取り戻したのは耳!

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そうだよね。「声」の前にまず「耳」だよね。

聴覚が戻って、音が聞こえ始め、そして初めて人間の声を知ることになる。

初めて聞いたのが、雨。

そして雨の中、死んだ兄にとりすがるおすしの泣き声。

いやー

ほんとよくできてる!

人生初に聞いた音が雨と泣き声なんて、百鬼丸の人生の象徴かよ。

 

醍醐領では、また鬼神が倒されたことを知った父が、百鬼丸の行方探索の途中経過を聞いている。

対決する親子の暗示でエンド。

 

少々のかなしみと共にEDを聴いていると、なんとそのあとのカットが、どろろと百鬼丸がおすしに初めて出会った神社と、残された折り鶴二羽。

おすしは、小さいころ兄に折ってもらった折り鶴を大切に持っていたんだけど(年月が経ってるのでオリジナルかどうかはわからないw)、田之助が妖刀に呼ばれて出て行ったあと、もう一羽の折り鶴を見つける。

おそらく、妖刀と離れて少しだけ人間性を取り戻した兄が折ったものだと視聴者にもわかる。

白と薄桃色の折り鶴二羽は、「兄と会えますように」との願いを聞き届けてくれたお礼におすしが供えたもので、雨上がりの陽光にやさしく照らされている。まるで兄と妹がやさしく寄り添うように。。

田之助の魂はきっと解放されたし、おすしにもそれがわかったような希望の象徴に見えた。

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 オリヅルのモチーフも、世界的にわかりやすいね。ブレードランナーみたいだ。

百鬼丸の鬼神退治は、悲しい気持ちになることが多いけど、今回は少し救われた気がする。

本当は優しかった田之助が、優しいがゆえに狂っていくさま、正気になる瞬間、救われた最後。(死んじゃうけど、最後に妹に会えたのはよかったんじゃないか)

原作も傑作回と言われてるけど、今回のアニメもすごかった!

 

で、これから百鬼丸は感覚だけではなく、聴覚を得て一気に世界が広がるんだろうなー

ほんとに赤ん坊が成長していく過程のようだ。

そのガイドをつとめるのが、どろろ。そして琵琶丸。 

「声」を取り戻すのはこのあと、みおを失った時のような予感。

最初に発するのも悲しみと怒りってのも、スクワレナイけど。。。

 

って思ってたら次回、なんとみお登場ではないか!


TVアニメ『どろろ』 第五話「守り子唄の巻・上」予告

 

そっか。後編の6話目がクール前半のクライマックスなのか。

この構成は神だ!

ほんとに来週が待ちきれない!!!

 

追記

アニメにはまると海外の感想も追ってしまうのだけど、やはりブレードランナーを思い出す人が多い。

雨がずっと降り続く世界、虚無<ニヒル>を抱える敵役、闘うレプリカント。。

All those moments will be lost in time, like tears in rain. Time to die.

「そんな思い出も時と共に消える。この雨の中の涙のように。死ぬ時が来たようだ」

 

ルトガー・ハウアーが最期に語る言葉。とても好きな映画で、世界中の人に同じような世界観を想起させるって、やはり名作だなぁ。(まだ4話 笑)

Dororo - Episode 4 discussion : anime

 

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どろろ 第3話 「寿海パパ、ハードボイルド室町時代」

まさに、ハードボイルド室町時代

いやー 待ちに待った『どろろ』第3話、冒頭の無残さは出色だった。
磷付、耳削ぎ、指落とし。。。
耳削ぎ なんてテレビで初めて見たよ。『タイムスクープハンター』か!
NHKもそこまで冒険はしたことないと思います)
 
1969年のアニメ版は、百鬼丸登場の飛び散る血のシーンのせいでモノクロになったと聞きますが、2019年版のこの回も思いっきりモノクロ。
過去だった、ってこともあるけど、中世の残酷さを正面から描くにはモノクロにするしかあるまい。
 
そして今回、百鬼丸の育ての親、寿海は医者というより現代の義手義足を作るメーカーといいますか、エンジニアですね。
過去の贖罪のために、無償で人体の動くパーツを製作して戦で傷ついた人々に提供している。
その匠の技が、12匹の魔物に奪われた百鬼丸の五体を形作るわけですが。
 
寿海を演じるのが、ブラックジャック大塚明夫さん。
さすが手塚プロ、このキャスティングはすばらしく、第3話は徹頭徹尾ブラックジャックこと寿海のハードボイルドひとり語りです。
大きな統一国家が存在せず、すべて「自己責任」のこの時代を生きている人々は望もうが望まなかろうがハードボイルドに生きざるを得ないのですが、百鬼丸と寿海の別れのシーンは泣けたなぁ。
リアル涙、こぼれました。

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感覚のない手でいたわるように顔をさわる百鬼丸。。。
こないだのどろろのシーンと同じだ 泣
寿海の白い炎も弱っていたのかなぁ
 

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原作をまだ読み返してないのですが、確かどろろに「作り物の目」を見せたあと、がらんどうの眼窟をさらしたまま寿海との経緯を「テレパシー」で語るという相当レアな場面を展開していた百鬼丸ですが、今回は案内役の琵琶丸とどろろ百鬼丸の代わりになんとなく察してあげています。
 
そして皮膚の感覚を取り戻したらしい百鬼丸は、焚き火にふれてみて、その「感覚」を確かめたりしています。
斬新!
 
これはピノキオが人間になってく物語でもあるんだなー
 
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どろろ 第2話 「俺は、百鬼丸」

どろろ』2話、見ました。

amazon prime いったい何時から配信なの???

もしや第1話のみ特別配信だったの???

と、疑心暗鬼にかられながらグースカ眠ってしまった月曜日ですが、ちゃんとTV放映終了後、24時くらいから配信されるようです。

 

でもって超楽しみだった第2話ですが、なんだかあっという間に終わってしまった。

あれ???

万代、弱すぎない???

昭和だったらたっぷり2話でお届けしてませんでしたっけ?

原作、50年前のアニメ、プレステ2、実写、すべて制覇している『どろろ』マニアとしましては、万代、あっさりしすぎてた。

霧の中、川辺に眠る百鬼丸に「やろうかぁー」と怪しく囁く金小僧。。。

万代の寝室に忍び込み、枕に隠されてるしっぽと遭遇しそうになるどろろ。。。

平和を取り戻し金小僧が隠していた金まで取り戻し、しかし身体の一部を取り戻した百鬼丸におののいて「出て行ってくれ」と冷たくあしらう村人たち。。。

なシーンがすべてカットされ、非常にあっさりしていた平成アニメ版。

第1話の濃密さに比べてこの淡白さは何?? と思った初見でしたが、さきほどもう一度見直してなんか納得しました。

つまりはまだまだプロローグ。

百鬼丸の過去も、どろろの過去も、まだ全く明らかにされていない。

逆に現在の百鬼丸について、非常にリアルに描写する場面があります。

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万代に「おっかさん」の面影を見てしょげるどろろの「魂の炎」の弱さを感知し、思わず頬に手を当て「なぐさめようとする」百鬼丸

 

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きゃー

視覚も聴覚もそのほか皮膚を通した感覚のすべて奪われている百鬼丸

しかし、彼には「魂の炎」のようなものは見える。

どろろはうざったいけどとても美しい炎を持っているので、なぜか自分についてくるけど害はないので放置している。

(って語りの麦人博士と今シーズン大活躍の「おっさん」こと琵琶丸が言ってた)

そしてもう一人、かつて自分にずっと寄り添っていてくれた美しい炎が、寿海だった。。

ってことで、次回満を持して寿海パパ!


TVアニメ『どろろ』 第三話「寿海の巻」予告

原作にはいなかったオリジナルキャラも出てくるようで、先行カットを見ると多宝丸の子供時代もあってヤバすぎるなぁ。

これ魔物は12匹で全話24話だと、もう2匹倒してるからあと10匹で22話やることになる。焚き火の場面をよくよく見ると右脚ホンモノっぽいからもう一匹前に倒してるのかな。あと9匹?

最初の「泥なんとか」と「万代」それからPVで出てくる「似蛭」はあっさりやって、あと9匹をじっくり描いてくれるのかしら。

 そして、どろろを気遣った後(照れるどろろがかわいい)、「名無しのくせに!」と言われて唐突に自分の名前を地面に書き始める百鬼丸。しかし、どろろは字が読めない。代わりに手で触って「ひゃっきまるか」と教えてあげる琵琶法師のおっさん。

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この、三人とも何かが欠如してる個人同士が互いに補っているチーム感がすばらしい。まさに現代感あふれる小林靖子の脚本。

百鬼丸は、ただの戦う機械人間ではなく、他人を気遣う心を持っていることもわかる。どんな方法で学んだのか、漢字まで書けることもわかる。

いったいこの16年間に何があった?

 そして今回「万代」を倒して取り戻したのは「神経」!

今までどんなにズタボロになろうが痛みを感じなかった百鬼丸が、これからは戦闘のたびに痛みを感じるようになる。

風や太陽を感じられるようになったのはすばらしいことだけど、失ったものを取り戻すたびに、百鬼丸は生身の人間に近くなり、どんどん戦闘能力は低くなり弱くなっていくのだろう。

そして魔物が一匹ずつ倒れるたびに、天災や人災に見舞われる醍醐の国。

幸せの国になんてたどり着けるのだろうか。。。

来週多宝丸の子供時代だって出てくるし。。

このあとの展開を思うとつらい・・・・

ともだえながらも、次回「寿海の巻」も無茶苦茶楽しみです!

 「どろろ」はいいぞ!

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#この第2話のモチーフは日本の各地に伝わる民話「六部殺し」。「六部」と呼ばれる旅の僧を殺して金を奪い、その金で裕福になった百姓夫妻に子供が生まれるが口がきけない。ある晩、その子供が初めて口をきいたのが「お前に殺されたのもこんな晩だったな」。

ひー

さすが鬼の小林脚本。「金小僧」は原作の村を救う埋蔵金の精ではなくて、「六部」の霊っていう怪談話になっております。

まさか口のきけない百鬼丸が声帯を取り戻した時に醍醐に向かって「お前に身体を奪われたのもこんな日だったな」とは言わないと思いますがww

どろろが「剣を奪うために」百鬼丸につきまとうのではなく、「妖怪退治で金を稼ぐ」マネージャーになるのが目的になっているところや、万代に一方的に搾取されて貧乏な村ではなく、逆に犯罪によって豊かになりその後ろめたさを無くすために用心棒を雇う百姓たち、という設定変更は非常に現代的であり、さらにそれを中世の民話に結びつけるという二重構造にはうなるしかないなぁ。


 

『どろろ』2019年版の「叶うなら、遠くまで」

手塚漫画で我が最愛の『どろろ』の最初で最後の平成版アニメが2019年1月7日に始まった。

すばらしすぎて涙している。
海外でも上々の評判で、手塚治虫の普遍性と映像plus音楽のフルコンボは、日本アニメの底力を感じて新年早々やること満載だけど書かないことには他に取り掛かる気持ちになれない。
 
しばしお付き合いいただければ幸いです。
(のっけからネタバレなので、未見の方はご注意願います)
 
 
まず、百鬼丸の設定のすばらしさ。
 
冒頭の醍醐と魔物たちの契約からほぼストーリーは原作をなぞっているのだが(魔物の数などの改変はある)、16年後、既に放浪の旅に出ている百鬼丸の初登場場面。
対岸でドタバタやってるどろろたちに気を取られて川に落ちかけた少年を百鬼丸が目にも留まらぬ速さですくい上げる。
その後に少年が母親に言ったセリフ。
「お兄ちゃん、お面をかぶってた」
 
お面??
 
そう、平成版アニメでは、百鬼丸は「お面をつけたまるで人形」として登場するのだ。
 

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思えば、百鬼丸に「五体」を与えた医者の寿海は、木材で身体のパーツを作っていた。
手塚治虫先生のマンガでは百鬼丸は最初からとても表情豊かでチャーミングだったし、50年前の出崎統さんの「劇画っぽい作画」ではあしたのジョーと同じく男くさい百鬼丸だった。実写版では妻夫木聡がごく普通に人間のイケメン枠で演ってたし。
 
それが、今回のちょっと中性っぽい百鬼丸は、まさに攻殻機動隊に出てくる「木偶」そのもの。
主人公なのにひとことも発さず(まあ、まだ声も奪われてるんだけど)、視線も合わさず、魔物のような速さで敵を攻撃する。
あの人間とは思えないスピードのアクションは、並の運動神経とかではなく、ゴーストかなんかで動かされているとしか思えないし、そうであれば逆に納得できる。
 
 
この「まるで木偶」みたいな百鬼丸が、どう人間性を取り戻していくのか。
 
エンディングでは、百鬼丸が「ニコッ」と笑うカットがある。
まったく情報無しでこのシーンを見たら
百鬼丸が笑った!
と天地がひっくり返るくらい大騒ぎするレベルの第1話の百鬼丸
 
おそらく、どろろが明かりとなって、百鬼丸の行き先を照らしていくんだろうな。
どろろ、すごくかわいい)
 
このエンディングテーマの amazarashi の『さよならごっこ』がまたすばらしすぎて、歌詞がグルグル頭の中を回っている。
 
 
百鬼丸が背負う壮絶な宿命ほどではないにせよ、
僕らも大なり小なり逃れられない宿命を背負って生きているのだと思います。
それを見ている側に気付かせてくれるのがどろろの存在なのかな、などと考えながら曲を作りました。
友愛のような恋愛のような、家族愛のようなどろろの暖かい視点から、
百鬼丸の深淵に触れようと試みる歌です。
そして宿命を背負いながらそれでも尚歩みを止めない人達の為の歌です。
気に入って頂けたら嬉しいです。

amazarashi 秋田ひろむ

 

戯けて笑うのは この道が暗いから
灯りを灯すのに 僕がいるでしょう

さよならごっこ 慣れたもんさ
でも手を振ったら泣いちゃった
僕らの真っ赤な悲しみが
暮れる 暮れる そして夜が来る

当たり前にやってくる明日なら
生きたいなんて言わなかった

よせばいいのに夢見てしまう
未来 未来 君のせいなんだ

 

アニメのキャッチコピー「叶うなら、遠くまで」というのがまた連動して泣けるんだよねー

「叶うなら」って結局「叶わない」ことを前提としているわけでしょう?

原作の百鬼丸は「どこかに幸せな国があるかも」と育ての親の寿海と別れて魔物退治の旅に出るわけだけど、醍醐パッパが言ったように現世はどこも地獄。

でも。

夢見たいよね。

あきらめてたんだけど「もしかしたらかなうのかもしれない」って思わせてくれる存在が、百鬼丸にとっても、どろろにとっても、お互いだったんだよね。

百鬼丸どろろも「共同体」から明らかにはみ出た存在で、百鬼丸がいくら魔物を退治しようが、そのおかげで村に平和が訪れようが、結局は村人から「バケモノ」「乞食」と石もて追われてしまう。

(本日放送予定の「万代」はまさにそういう話)

子供の頃、クラスメイトに馴染めなかった私にとっても、非常に切実なテーマだった。もちろん、川辺の焚き火の側で寝る百鬼丸に金小僧が「いらないかぁ」と囁くシーンなんかは純粋にその怪しさにどきどきして読んでましたけど。

そして、たとえ48の魔物(今回は12)を倒したところで、そしてもともとの自分の身体を全て取り戻したところで、百鬼丸はそれからどうするのだろう、どこに行くのだろう。どろろと別れ、たったひとり空白の一本道を歩いていく、百鬼丸の終わりそうにもない孤独を、子供だった私は呆然と見送るしかなかった。そして手塚先生は、「続きを見たい」という私の願いも空しく、百鬼丸の行き先を描くこともなく、逝ってしまった。

今回、PVでは、どろろと百鬼丸が二人で黄金の道を歩いていく姿が最後に描かれている。

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これから24話、ばんもんがつらい、おっかちゃんもつらい、イタチもつらい、みおもつらい、多宝丸もつらい、辛いことしか思い出せない二人の道行ですが、美しい風景(墨で描いたものにPhotoshopで彩色しているそうです)、スタイリッシュな戦闘シーン(百鬼丸が橋桁を縦横無尽に駆けるさまは圧巻)、モブでもおろそかにしない演出(いずれも喰われてしまう産婆や3人組)、こまかいフォロー(琵琶法師が杖を探すシーン、百鬼丸と同じ「見え方」を提示する一瞬のカット)、そして浅田弘幸さんによるキャラクターデザイン、女王蜂&azarashiの音楽などなど、手塚先生の名作が現代のスタッフによってあざやかに立ち上がったことがうれしすぎて、結末がどうなろうと、最後まで見届けたいと思うのです。

 

#舞い上がりすぎてて最後になりましたが、脚本は特撮の小林靖子さん、監督はわが愛する『ハンター×ハンター』そして『るろうに剣心』の古橋一浩さん!


どろろ Dororo Short documentary 1/13「魂の鼓動」古橋一浩×小林靖子

 

どうりで百鬼丸のアクションは抜刀斎もしくはクロロだわー

小林靖子脚本は昔の「仮面ライダー龍騎」しか見てないけど、犯罪者がライダーのひとりになったり、主人公が死んじゃったり、信じられない展開の連続。

これはもう泣きながらついていくしかない!

 

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ちなみに第1話で取り戻したパーツは「皮膚」。

こいつも斬新だ!

 

現世と虚構の間〜おんな城主直虎 番外編 きっと黄金のエルドラドが待っている

『おんな城主直虎』が最終回を迎え、はや1カ月以上。

あまりにスッキリ終わったので、もうこのままでいいかな、もう思い残すことはないかな、と私自身もスッキリしてしまい、ロスではありましたが日々の雑事に埋没しておりました。

 
しかし!
 
しかーし!
 
2月1日、エルドラド賞じゃなくてエランドール賞の画像が私を撃ち抜いた(ↀДↀ)!
 
ドキューン!
 
殿と政次が!
 
夢のツーショットだ!!!
 

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殿が笑顔で政次に花束をををををを
 
そしてそして政次の感極まった表情おおおお
 
いやー
イッセイさん、ほんとなんて顔だ。
もうね。私は電車の中でいろいろ辛い現実を忘れましたよ。
いままで意図的なのか故意なのかワザとなのかその全部なのか、なぜかツーショットで現れない殿と政次の中の人!
なんでまさみとはツーショット満載なのよ! と密かにイラっときている昨今
公式サイトが閉鎖されたまさにその日、2月1日になぜ大公開されるツーショット!
 

mdpr.jp

 

撃ち抜かれたのはもちろん私だけではなく、なんと『おんな城主直虎』の視聴熱が5位にランクイン。
 

 
とっくに最終回を迎え、総集編も放映され、公式のWebサイトが閉鎖されたTVドラマがなぜ現在絶賛放送中の朝ドラを押さえて5位に!
 
それはやっぱり、「殿と政次に幸せが訪れて欲しい」「明るい陽の元で幸せに笑っていてほしい」という重低音でずーっとずーっとマリアナ海溝の奥の奥で鳴り響いてこじらせかけていた視聴者の欲望が、この幸せツーショットと共にマグマとなって一気に噴出したにほかありません!
 
もちろん、柴咲コウさんと高橋一生さんはお仕事として大河ドラマの役を演じていただけで、戦国時代に生きていた「井伊直虎」でも「小野政次」でもありません。
しかし、しかし、この二人が同じ空間にいて、笑いあっているだけで、まるでドラマの中の虚構の登場人物が回避できなかった悲劇を乗り越え、視聴者が願っていた幸せな結末を、ハッピーエンドを迎えることができたのだ!という幻想にひたることができるのです。
 
なんならこの二人が本当にハッピーエンドを迎えてもいい。
それこそが、殿と政次が叶えられなかったドラマの中での現実を、中の人が現世で代わりに現出させる唯一の方法なのだ!
 
ってもう、虚構と現実が完全に逆転してますよねw
 
記事が出た数時間後に発表された各メディアの授賞式の動画が、さらに拍車をかけます。
 
 
もうね。
この授賞式の中のコウさんとイッセイさんのやりとりが「殿」と「政次」のやりとりをホーフツとさせて、もはや視聴者が虚構と現実をはき違えてもしかたない、というレベルなのですよ。
 

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えー まず殿の祝福スピーチを聞く政次の超幸せそうな微笑みをご覧ください。
これは殿が「主役をやらせてもらったけれど、それもイッセイさんの情熱あふれる演技に支えられてこそのものだ(意訳)」とのコメントの場面。
→「政次に支えられてこそ我があったのじゃ」って私の中では変換
→その賛辞をシミジミと噛みしめる「ほんとよかったー」「むくわれたー」ってイッセイさんの表情。
 
でもって、イッセイさんは、殿のスピーチの最中に、うっかり胸につけた「胸章リボン」を落としてしまいます。
その気配に超敏感に反応する殿。
正面を向いて話していたのに、目の端ではしっかり家老の姿をとらえていた!
 

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「ひゃー?」って声を上げスピーチの最中に政次を気遣って振り向く姿が可愛すぎて悶絶なのですが、その殿に「大丈夫」と小声で答え(私のことは放っておいてすみやかに公務にお戻りください)というイッセイさんの政次風味がもうツボ過ぎるのです。
 

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あー
政次だったら「俺にかまうな。己の役目に集中しろ」って言い放つ場面。
そして殿は全面的にイッセイさんを信頼した満面の笑顔ですぐにスピーチに戻って己の役割をまっとう。
 

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イッセイさんaka 政次は「もうホントすぐ本分忘れちゃうんだから」「やっぱり俺がついてないと駄目だな」「でも俺のこと気にしてくれてたんだな。カワイイ」というアンビバレンツな感情がダダモレになっております。
 
この後も殿の「あれ?共演10カ月だよね?」のこれもスピーチ途中の振り向きに「そうそう」ってうなずきで応えたり、殿と家老みあふれすぎて、もうなんかすべてが報われました。神様にありがとうの気持ちでいっぱいです。
 
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お二人の魂の芝居、しかと受けとめました。
高橋一生さん、エランドール賞おめでとう。
そしてそれは柴咲コウさんという人との素晴らしい出会いがあったからだと思います。
なんて素敵なマリアージュ
お二人の幸せな人生をお祈りします。
現実と虚構のはざまで。
 
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行ったり来たり、その後。政次は戻って来た。そして直虎を現実につなぎ留めていた母上が逝ってしまう。。

はい。

『おんな城主直虎』も残すところあと6回。スダマこと菅田将暉の直政が表舞台でわかりやすい出世物語を展開しておりますが、それは土曜時代劇的8回完結ものな味わいとして、その裏では1年かけて描いてきた直虎の物語がゆるやかに終幕を迎えようとしております。
 
やはり政次ロスと言いますか、34回以降あまり何かを書きたいと思わなかったのですが、先週の44回『井伊谷のばら』での祐椿尼こと母上の退場には心を動かされました。
 
彼女は非常に有能な「奥方」として井伊家を支えてきた人物です。井伊家にとっては「敵」であった今川系の新野家から典型的な政略結婚で嫁いで来た女性。にもかかわらず、後に井伊家を再興する直政を直虎と共に育て上げ、井伊家を磐石にした功労者でもあります。ここまでは史実の通説。
 
物語としての母上は、常におとわを「今いるべき場所」につなぎとめる非常に大事な役割を果たしてきました。
 
おとわの少女時代は「お転婆」の域を超えて無茶苦茶です。
ごっこで鶴に捕まりたくないから滝壺に飛び込む。
亀の身代わりに衣服を取り替えて追っ手に捕まる。
鶴と結婚したくないから家出して解死人に捕まる。
今川の人質になりたくないから氏真と蹴鞠合戦をする。
ここまでで既に4回死んでてもおかしくない状況です。
 
男子の死亡率が常に女子より高い事実は、男子が冒険好きとか名誉を重んじるとか「現実より離れやすい」特性からきていると聞いたことがあります。
 
おとわは女子ですが、やってることは地に足ついてないというか、「7つまでは神のうち」という言葉通り「あの世とこの世の間にある存在」でありいつあっちの世界に行ってしまってもおかしくない子どもでした。
(たけの苦労がしみじみ偲ばれる。。)
 
そんなおとわが出家。
 
出家先の井伊家の菩提寺龍潭寺は、アジールとして機能していたようです。
一歩門を入って「山林!」と叫べば俗世の全てから縁が切れる。

 井伊谷龍潭寺は井伊家の菩提寺である。そこに駆け込めばそれまでの因縁を断ち切れる、過去の柵(しがらみ)を免除されると思われていたわけだ。これを「無縁所」とも言った。アジールだったのである。
 のちの「井伊直虎置文」では、そのような悪さをしてきた「非法の輩」が駆け込んできたときの対処の仕方について述べていて、理非の決断が井伊家の旦那に任せられる場合と龍潭寺の住持が決めていい場合とがあることが明記されている。アジールではあったが、それを決定するにはいくつかのルールとロールの選択があったようなのだ。

建前的にはたとえ今川の兵が追って来ようと、おとわであろうが、亀であろうが、虎松であろうが手を出すことはできなかった場所です。
そして龍雲丸も。

おとわは何度か出家を躊躇ったり諦めようとしますが、そのたびに母にたしなめられます。
 
母はあなたを誇りに思う、家のために身を捨てられる姫なんてそうそういない、「まさに三国一の姫!」とおだてあげて出家を促す母上。
 
本領安堵の引き換えとした出家なのに途中で諦めるなんて「あなたは井伊家を潰す気か」、空腹に耐えかねて戻って来た次郎を追い返す母上。
 
ゲートキーパー的な役割。

でも、それもこれも「アジール」である龍潭寺に可愛い娘を守ってもらうため、そう考えられます。
 
猛獣の子どもみたいだったおとわも、柴咲コウさんになってからは、龍潭寺での修行のおかげか、住民たちと共に生きる立派な僧侶になっていました。
 
しかし、許婚の直親の帰還により、彼女にまた「居場所」の危機が訪れます。

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今川の謀略によって暗殺された亀に連れ去られそうになるおとわを取り戻すために、渾身の力を込める母上!

鳥肌が立ったなぁ。
まるで陰陽師の戦いみたいだった。
財前直美さんはあらためてすばらしい役者さんだと思いました。
 
そして、ようやく本題に戻りますが、44回の『井伊谷のばら』。
この冒頭、おとわがまたもや現世から連れて行かれそうなシーンがあります。
母娘で立花を楽しむ、とても平和な光景なのですが。
 
スダマの初陣が決まり「戦は何が起こるかわからない」と動揺したおとわは、指を刺してしまい、人差し指にポツンと赤い血の玉が噴き出します。
 
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はっとしたのは、母娘だけではなく、視聴者もそうです。
 
私は思わず、政次処刑の後に、おとわの白い頭巾に宿った赤い血の点を思い出してしまいました。
 
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無血開城のはずだったのに、近藤の讒言にはまり、反逆の首謀者として直虎自ら処刑してはならなくなった政次の返り血。
 
戦になってしまえば、何が起こるか誰にも予想できない。
暴力装置である軍隊により戦争が始まってしまうと、人智によるコントロールはもはやきかないのです。
 
楽勝を予想されていた桶狭間の合戦に負け、首桶となって帰って来た父。
 
隠し港に救援軍として迎えたはずだった家康の軍に、無惨に殺されてしまった龍雲党の仲間たち。
 
一滴の血が、おとわに、そして祐椿尼に、これまで失ってきた大切な人たちの命の記憶を、あざやかに甦らせたに違いありません。

政次の死の後にオフェーリアのように精神の均衡を失ったおとわ。
ここでまた「あちらの世界」に行きそうになっても不思議ないこと。

しかし母は強い。

慄くおとわの手を優しく取り「指を突いただけです」と諭す祐椿尼。

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自身も首で帰って来た夫のことを思い出したでしょうに、「赤い血」は呪いでも予言でもなく、短に日常的によく起こる些細な傷であると娘に言い聞かせる気丈な母の姿。

おとわはまた現実に留まることができたのです。

44回は母娘の関係としてさらに劇的なクライマックスが待っているのですが、
アバンだけで泣けました。

残り6回で最後の幼なじみも失ってしまうおとわ。
もう、彼女を引き留める強く優しい母はいない。
寂しいことですが、おとわ自身が自分の人生に対して満足していることを知ることができた貴重な回でもありました。

この物語、最後まで見届けます!