アスフォデロの野をわたる途中で

忘却の彼方にいってしまいがちな映画・音楽・本の備忘録

Dior and I 『ディオールと私』

もしかして4月で終わっちゃうんじゃないかと思い、とりあえずギリギリに観に行きました『ディオールと私』。

面白かった!

オートクチュールという特殊産業の裏側も興味深かったけど、チームでの創作ということを非常に考えさせられました。

ジル・サンダーというミニマムなブランドのメンズプレタポルテをやっていたラフ・シモンズというベルギーのデザイナーが、ディオールという今やシャネルと唯一オートクチュールという前近代的な創作活動を担うニ大メゾンのデザイナーに招聘されるところから始まる、ドキュメンタリー。

ジル・サンダーディオールも好き、という自分でも矛盾しておりさらに今回のラフの起用も同じ矛盾を孕んでいるというファッションフリーク的興味と、デザイナーとお針子集団がどのような過程で仕事していくのか、その創作をどうビジネスに結びつけるのか、という産業的興味もあって、前売り券まで買っていたのに結局終了間際。混んでるかと思ったけど、私の好きな6列目より前は全て空いていた。この先地方を回るようだけど大丈夫なんだろうか。勝手なお世話か w

まず、ラフ・シモンズの仕事のやり方が面白かったです。
彼はデザイン画をいっさい描かない。コンセプトを文字でいくつか挙げて、そのコンセプトに従ってアシスタントのデザイナーたちが実際にデザイン画を描いていく。
この手法は他のメゾンもやってるようで、私の中にあった「デザイン画を何千枚も描いてそれを弟子たちがカタチにしていく」という古典的ファッションデザイナーのイメージはガラガラと崩れました。
ただし、実際の生地作りから、服の形になってからの修正まで、実に細かくディレクションしていて、最後には糸を通した針まで握っていたので、ただの観念だけの人ではありません。
そこは、最終的に職人のお針子たちにも信用された所以かと思いました。

唯一、彼がキレたのは、いよいよ最終形の服ができあがってくる大切な日に、お針子チームのトップが、

ブラームスはお好き?/サガン★朝吹登美子訳

ディオールはお好き?』ではなく、『私とディオール』まだ見れてないのですが、この前売り券を買うとメモと記念上映を1本千円で見られる権利がもらえるというので、買って観たうちの1本が『さよならをもう一度』(Good-bye Again)

原作のサガンの『AIMEZ-VOUS  BRAHMS‥‥』(ブラームスはお好き?)の方が全然タイトルとして良いと思うのですが。

イヴ・モンタンが渋い盛りで出ているのに、アメリカ映画なので仕方ないのか。

こちらの映像は、英語からさらにイタリア語になってるので、パリの風景でイタリア映画が演じられてる不思議なことになってますが、冒頭のブラームス交響曲第三番第三楽章と、バーグマンが街角でタクシーを拾うところ、モンタンが自分の車に乗り込むところ、アンソニー・パーキンスが凱旋門を背にオープンカーを運転しているところ、が次々と映し出されてこれからの120分にワクワクさせられます。

イングリッド・バーグマンは当時46歳ですが、原作ではパリでインテリアデザイナーとして働く39歳の主人公を演じています。彼女が映画の中で着る衣装が、サン・ローラン最後のディオールへのデザイン作。

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うむ、このスーツより、なぜかバーグマンが仕事から家に戻ってモンタンと食事に出かける前に着替えた部屋着のローブの方が印象に残りました。

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 ストライプで色はわからないけど、無難にゴールドっぽいのかな、光沢があるのでシルクでしょうか。仕事着→部屋着→ドレス っていちいち着替えるところが、昔っぽくて良いなー と思いました。

映画は冗長なんだけど、バーグマン、モンタンと三角関係を演じるアンソニー・パーキンスの存在が効いてて、なんとか最後まで持たせます。

サガン原作なのにアメリカ映画、っていうのがいまいちの原因なんじゃないかと思って原作を読んでみました。(躁鬱っぽいパーキンスは良かったけど。ほんと、そこだけがハリウッドで作られて良かった点)

「ロジェは自宅の前に車をおくと、かなり長いこと歩いた。大きく息をすって、少しずつ歩幅をのばしていった。いい気持ちだった。ポールに会うたびに、いい気持になるのだった。かれはポールしか愛していなかった。今夜だけは、別れぎわに、彼女が悲しんでいるらしいと感じたが、なんといっていいのかわからなかったのである。ポールは漠然とかれになにかを求めていた。かれがポールに与えられないなにかを、かれがだれにも決して与えることができなかったなにかを・・・かれはそのことをよく知っていた。

たぶん、彼女のそばに残って、一緒に寝るべきだったかもしれなかった。それが女を安心させる、いちばんいい方法だった。しかし、かれは歩きたかったのだ。夜の町を歩きまわり、ぶらついてみたかった。石畳の上の自分の足音を聞き、すみずみまでも知っているこの都会を見まもりたかった、そして、もしかしたら、夜のアヴァンチュールに出会うかもしれない。かれは河岸のはずれに見える明りにむかって歩きだした。」

おお!イヴ・モンタン(ロジェ)はそういう気持ちだったのか!

映画の中では、ただ女たらしでバーグマン(ポール)が若いパーキンスに走って初めて彼女の重要さがわかる、みたいな身勝手な独身貴族のようにしか見えませんでしたが、このロジェの気持ちは理解できる。だからこそ、彼は魅力的なのだし。

私は立場的に女主人公に感情移入していいはずですが、なんだか、夜のパリの街をひとりでぷらぷら歩きたい彼の自由さの方が共感できます。

当時24歳のサガンがこういった結婚しない男性の心情や、15歳も上の40代にさしかかろうとする独身女性の複雑な気持ちを表現し得ることは驚きです。

なんだかフランスの田辺聖子みたい。

私はなぜかサガンボーヴォワールと同じ引き出しに入っていて、19歳で衝撃のデビューを飾ったという『悲しみよこんにちは』も読んだことはなかったのですが、やはり一種の天才なのだと思います。朝吹登美子さんの訳もすばらしい。

フランス語でも読んでみようかな。

 

『女は女である』ジャン=リュック・ゴダール

本日は、ディオールの舞台裏を描いたドキュメンタリー『ディオールと私』の公開日。

先立って Bunkamuraル・シネマで1週間だけ上映された「モードと映画」特集のうち、「シャレード」を除く(ヘップバーンさん、ごめんなさい)3本を仕事の合間に根性で見て、やっぱり小さな劇場で見る映画っていいなあ、とつくづく思ったので記念にブログを書くことにしました。IT業界伝統ながら今更の初はてぶ(笑)

 

なかでもゴダールの『女は女である』は最高でした。

 

 

ゴダールはヌーベルバーグの「お勉強」として見たことが多く、いまいち心の底から良いと思ったことはなかったのですが、トレーラーでも見ることができる冒頭のタイポグラフィからカメラワーク、音楽まで、文句なく「この人は天才だ」と思わせられます。1960年の『勝手にしやがれ』でのデビューがどんなに衝撃的だったか、50年以上経った今でもこんなに新鮮に思えることを考えると、想像だにできません。

 

そして、主演のアンナ・カリーナが最高!

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無茶苦茶かわいい。

赤いカーディガンに赤い靴下、ベージュのコートに黒の手袋。

赤い傘を小脇にはさんで、煙草を吸いながらパリの街を歩く姿は本当に絵になってる。

観た翌日どうしても赤いカーディガンを着たくなったのですが、持ってなかったので、クリスマスくらいにしか着ない半袖のニットを着てみましたが、何か違いました(笑)。

 

突然ミュージカル仕立てになったり、『突然炎のごとく』や『ピアニストを撃て!』のオマージュの台詞が出てきたり、ハル・ハートリーみたいな小粋な感じで非常に気に入りました。(いや、むしろハートリーの方が影響受けてるのか)

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『はなればなれに』も見てみたいなー

 

1961年のベルリン国際映画祭で、夫婦ともに銀熊賞を取ったのは納得です。